スイッチ
2009 / 07 / 04 ( Sat ) 最近、スイッチが入るとか、入れるとかいうことを聞くように思います。
教育現場でも、子どものスイッチを入れるというように使われます。 人は、環境によって変わることもありますから、いろいろな働きかけによって子どもがやる気を出すことはあると思います。 しかし、人は複雑な生き物ですから、これをすればこうなるというような公式はないと思います。 また、スイッチが入っているときは、子どもは進んで課題に取り組むと思いますからいいのですが、問題なのは、スイッチが入らない状況のときにどう自分と折り合いをつけるかということなのではないでしょうか。 らくだ教材は、自分から進んで学ぶ仕掛けが満載です。 押し付けたり命令してやらせるのではなく、自分の決めたことを指導者との約束の中でやり抜く。 他人から評価されることなく、自分で採点し、自分でミスを直すことで確実な学力を養成する。 記録表をつけることで、自分で自分と向き合える。 これだけ自分から学ぶ、ということを徹底して追及した教材は他にないでしょう。 しかしだからと言って、この仕掛けだけで子どもが一人で学ぶようになるのであれば、苦労はありません。 壁にぶつかって嫌気がさしたとき、ミスが多くて誤魔化したくなったとき、指導者や保護者の方たちの援助があって、子どもたちは壁を乗り越えて行きます。 繰り返すようですが、スイッチが入っているときはいいのです。 スイッチが入らないとき、どのようにそれを乗り越えていくのか、そこにこそらくだメソッドの真骨頂があります。 |
ジョギング
2009 / 07 / 03 ( Fri ) 先月末から、また走り出しています。
続けるというのは、こういうのも入るのだなと思います。 確かに、毎日、コツコツ続けられるのが一番いいと思いますし、そうしたいと思っていますが、しばらく間が空いてしまっても性懲りもなく再開できることも、大切なことだと思います。 密度は少し下がってしまいますが、長い目で見ればやはり続けているだけのことはあると思うのです。 これまで、お稽古事にしろなんにしろ、続いたことがない、という方がいらっしゃいますが、過去は過去、これからどうするかが問題なのであって、性懲りもなくチャレンジするということが大事なことなのだと思います。 |
浮気性
2009 / 07 / 02 ( Thu ) 昨日の続きです。
小池龍之介氏によると、仏道では、今、ここに集中していない状態を浮気というのだそうです。 そう言われると、私など典型的な浮気性です。 何かしなければならないことがあるときほど、他のことが気になってしまいます。 先日はちもり様からいただいたコメントに、返信をしそこなっているのですが、私が、ボーっとしてしまうのは、まさにそういうところなのです。 朝、あれとこれをやることにしようと思って起きるものの、少し過密にスケジュールを立てると、もしくはやることが手一杯だったりすると、取り掛かる前にどれから先にやろうかとか、どうやったら上手くことが運ぶかとかいうことを考えてばかりいて、長考してしまうことが多いのです。 やらなければならないことが溢れている場合は、優先順位をつけてできるところまでやるしかないのですが、優先順位をつけるのに時間がかかったり、他のことに気が散ったりしてやらなければならないことに手がつかないということがままあるのです。 なるほど、これが浮気性だといわれると、私としてはとても得心がいったのでした。 今ここ、ということを意識しながら暮らしてみようと思っています。 |
6月の結果
2009 / 07 / 01 ( Wed ) 読書
『「自分」から自由になる沈黙入門』 小池 龍之介 幻冬舎 『ハガキ道に生きる』 坂田 道信 致知出版社 ジョギング 42キロ でした。 『「自分」から自由になる沈黙入門』ですが、体の声を聞く訓練をしていると、自分に必要な分しか食べなくなるのだそうです。 イチロー選手は、よくインタビューに答えて、好きなものを好きなだけ食べていると言いますが、イチロー選手は自分の体と対話ができているので、必要以上のものを食べないように自然とコントロールができているのでしょう。 私たちのような、日頃ボヤッと生きている人間が好きなものを好きなだけ食べていたら、ただの暴飲暴食と変わらなく、たちまちメタボになってしまうでしょう。 少し、自分の体の声を聞くトレーニングをしてみましょうか。 |
手紙
2009 / 06 / 30 ( Tue ) 今は別れて暮らす、娘から手紙が来ました。
まあ、私の手紙に返信をくれたということですが。 娘は、今年小学校に入学しました。 手紙には、「せんせいのいうこときいてるよ。しかられないようにがんばります。」とありました。 娘や息子の運動会などに行くと感じることですが、そこできちんと整列ができる、指示に従って敏速に行動できる子どもになりましたということを学校側は、父兄の方たちにPRしている場に思えてくることがあります。 もちろん、集団行動をすべき時にはする、自分を出していい時には出せるというメリハリは大切だと思いますので、それはそれでいいのかもしれません。 しかし、以前にも友人の塾の講師の話しとして紹介しましたが、答えが合っていたかどうかばかりを気にする、自分で考えようとしない子が多いと聞くと、学校というところは、ものを考えない、他人の言うなりになる子どもを育てる場なのかと少し危惧したくなってもしまいます。 娘はきっと、私に心配をかけないようにと気遣ってくれたのだと思いますが、離れて暮らしているからこそ、その手紙のような、ただのいい子になってしまったのでは面白くないような気がしたのでした。 |

