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転ばぬように
2012 / 01 / 11 ( Wed )
今日、お母さんが小さい子の手を引いて歩いているのを見て、昔、知り合いのお医者さんから言われた言葉を思い出しました。
それは、サマーキャンプでのこと、私が長女と散歩しているときに手をつながずにいて、長女が躓いて転んだりしているのを私が平然と見ていることに対して言われたことでした。
「一人で歩かせないとバランス感覚が養われないんですよね」
東京では車の通行が多いので、手を放して歩いている親子を見るとこちらがハラハラすることもあります。だから手をつなぐのがいけないというつもりはありません。
ただ、転ばぬように手をつなぐということが、忘れ物をしないようにすべてお母さんが揃えてあげる、あれもしてあげるこれもしてあげる、というようになっていくとそれが子供のためになるのかなと思ってしまったのです。
かくいう私が、小学生時代忘れ物の大王で、当時(私は知らなかったというか記憶がないのですが)母がしょっちゅう学校に届け物をして、先生から「本人のためにならないから、持ってこないでくれ」と言われたと大人になってから聞かされました。
私自身は、忘れることに悪気を感じていなかったというか開き直っていた部分もあったので、そういう子供に何を言っても無駄でした。
今でも忘れ物が決して少なくはない私ですが、いい年になって忘れたでは済まないことがあるということをいい加減経験してきていますので、自覚が当時とは比べ物にならないですからそれなりに対処を考えるようになり、それなりの成果もあげています。
結局、本人が自覚しなければ、変わらないということなのですね。この自覚をさせるというのが難しいことではありますが。
だから自覚が育つまで面倒を見てあげようとするのか、自覚が育つように工夫してみるのか、それは育てる人の考え方次第です。
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21:34:03 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
子どもは自然
2011 / 12 / 07 ( Wed )
ラジオで聞いた話で、電車の中で聞いたので聞き取れなかった部分があったり、忘れてしまった部分もあるのですが…。
ある女優さんが、養老孟司先生の言葉を引用されていました。
「子どもは自然。コントロールするものではなく、手をかけるもの」
その女優さんは、この言葉に出会い、子育てに対して気が楽になったと話されていました。
私たちは、時には食料とするため、またあるときは観賞用として、自然保護を目的として植物を栽培します。
栽培というのは、育てることであって、作ることではありません。肥料をやったり、水をやったりして、たくさんの日光を浴びられるように願い、虫がついていないか心配し、病気にかかっていないかを注意する、そういうことです。
決して「今度新しいOSが出るから、アップグレードしよう」とか「少しスピードが物足りないからメモリーを増やそう」とかいうものではありません。
自然の持つ生命力を前提とし、その生命力が発揮されるように手をかける。
子育てもそういうものではないかと養老先生はおっしゃっていらっしゃるようです。
巷間の雑誌を見ると、子育てには法則があって、その通りにすれば自分(親)の思い通りに育つかのような見出しが躍っています。
実際、その通りになっているのでしょうか。
たいていの場合、そういう記事を読んで何日かは書いてある通りにしてみるものの、すぐに「ああしなさい」「こうしなさい」と子どもの育つのを待ちきれず、元の生活に戻ってしまっているのではないでしょうか。
養老先生のインタビューをネットで見ますと先生の母上は開業医でいらして、大変忙しくされており、先生が成人したのちに母上がどこかで「私は手はかけなかったけれど、気はかけた」と発言されているのを耳にして、「何言ってるんだ。結構要らぬおせっかいをしてきたじゃないか」と思ったと回想されていらっしゃり、手をかける必要すらもないように受け取れる発言をなさっています。
私自身、かつて子育てをしていたころ、子どもをのびのび育てたいと思う反面(本来は必ずしも逆行するものではないかもしれませんが)、いい学校(がどういうものかもいろいろ考え方があると思いますが)にも入れたいというところでジレンマを抱えていたのを思い出します。結局、どっちつかずの亭主を当てにしなかったしなかった家内がそれなりのところに押し込みました。
それはともかく、養老先生は医療技術が発達し、衛生面も改善された結果人間の寿命が延び、人はいつ死ぬかわからないから今を精いっぱい生きるという生き方から、これから何年くらい生きるだろうからその間の保険をかけておこう、準備をしておこうという生き方に変わったと述べておられます。
つまりいい学校を出て、いい会社に入る、公務員になる、というような生き方ですね。
先生は同じくこうも述べていらっしゃいます。「今の学生は教科書に載っていない問題に対しては全くお手上げの子が多い。」
それは私も感じていまして、問題が解けない言い訳に「まだ学校でやっていない」とかいう子が多いように感じます。「じゃあ、学校でやったことのある問題なら全部答えられるのか」と言いたくなるのですけど。
現代は、親も学校も塾も手をかけすぎるので、子どもの生きる力を奪ってしまっているのかもしれません。野菜の促成栽培のように。
自然には自然のシステムが働いているので、そのシステムにもっと任せてもいいのかもしれません。
19:05:55 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
部屋トレ
2011 / 12 / 02 ( Fri )
最近、体がなまってきているのを痛感します。
中学の時にサッカー部に入ってから、途中中断した時期もありましたが、ずっと何かしら運動を続けてきて体力には自信があったのですが、ここの所サボっていた時期が長期化して貯金を吐き出してしまったようです。
ずっと気になってはいて、区とか市の施設に行こうと思いながら延び延びになっていました。
やるとなると恰好から入りたいわたしは、きちんとした設備の整ったところとか、きちんと時間を取ってとか考えて、頭でっかちになっていました。
そういう時に出会ったのが、『部屋トレ』の本でした。出会うべくして出会ったというべきでしょうか。
書いてあることに目新しいことはなかったのですが、空いた時間に少しでもやった方がやらないよりいい、という当たり前のことの気づかせてもらいました。内容的には買う必要がなかったのですが、自分で自分の背中を押すべく購入しました。併せてストレッチの本も買いました。
で、いつやるか。これもあーでもない、こーでもないと考えた末、電子レンジのチンの時間を利用することのしました。
朝、トーストを焼いている間にプッシュアップやスクワット、シットアップなどをします。特に回数などは考えず、電子レンジがチンとなるまでの数分間何かをやる、というところからスタートです。それでもいい加減なまった体には十分な負荷を与えることができます。自分はここまでなまっていたのかと最初ビックリしましたが、とにかくここからと思ってつづけることにしました。
こういう時間って、誰でも結構あるものだと思います。こういう時間に何か勉強するのもいいかもしれません。じっくり腰を落ち着けてやらなければならないものと分けて、ちょっと調べものとか、こういう時間の使い方をすると実は一日を驚くほど有効に使えるかもしれません。
お金の使い方にも通ずるのではないかと今ひらめきました。これにはこれだけ、あれにはこれだけと予算を組んでみるのもいいですが、こういう考え方をするとどうしても実入りよりも予算がオーバーしてしまいがちです。まあそうならないほどの収入がある人は別ですが。
ですが、その時その時に必要なものを必要なだけ購入する、というお金の使い方をすると、結構有効なお金の使い方ができるのではないか、そんな風に思いました。
今も少し時間を見つけたので、幸い雨も上がっているようだし、軽く走ってこようと思います。
ネット上で、地図の上で自分が走った(または走ろうと思っている)コース(の曲がり角)をクリックしていくと、距離の計算をしてくれるサイトがあるのですね。友人Tから教わりました。これはなかなか、走るモチベーションを上げてくれるサイトだと思います。
16:04:52 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
ホームカミングデー
2011 / 11 / 30 ( Wed )
母校早稲田大学は、開校記念日の近くの日曜日(10月の第3週頃)にホームカミングデーと称して、卒業25年、35年、45年、50年の卒業生を招いて式典を開いています。併せて稲門祭と称して、稲門会の支部が出店を出したりしてお祭りをしています。
私が今年、25年目に当たりましたので(本当は留年しているので1年足りないのですが、入学年度ベースになっています。)、行ってきました。
東京近郊在住で、誘いに乗ってくれそうな同好会の同期に声をかけました。
彼(T)は、ホームカミングデーのことを知りませんでしたが、「ああ、いいよ」と言ってくれて話がまとまりました。ところが数日後、Tから電話がかかってきて「行くのはいいんだけどさ、何か面白いことがあるの?」と言うのでした。その言葉で、わたしの心はめげてしまいました。
それでも、その日のために仕事のスケジュールを調整していたので、「とにかく、行こう」ということで、自分は午前中の式典から参加、Tは午後から合流ということになりました。
一方で、いとこの英ちゃん(ちゃん付けだけど、2学年上です)から、「お姉(私の従姉ですね)が出張で行った先でテキーラを親父(私のおじさんということですね)に買ってきてさ、親父だけに飲ませるのはもったいないから、口開けに来い」と言われていて、その日を決めかねていました。
Tの気のない様子に少しめげていた私は、ホームカミングデーの前夜に英ちゃんのところに行くことにしました。
おじさん、おばさんには大変お世話になっているので、カナダ産でしたけれど、松茸を土産に買っていきました。
おばさんの手料理(母の味に近いのです)をご馳走になり、テキーラもいただきました。
おばさんは、わたしが土産に持って行った松茸を丸ごと天ぷらにしてくれ、後日召し上がっていただこうと思ったのにと思いつつ、舌鼓を打ったのでした。
翌朝、何時に出るとハッキリ伝えていなかったこともありますが、年金暮らしのおじさん、おばさんは、日曜日の朝ということもあり、かなりゆっくりの起床でした。
おばさんが作ってくれた朝ごはんをガッツリ食べていたら、私が早稲田に着いたのもお昼近くになってしまったのでした。
大隈講堂前で待ち合わせ、十何年ぶりの再会(昨年、私の母の葬儀には来てくれていたのですが)を果たしました。
キャンパスを軽く散策するとTが、「昼飯を食いながら飲めるところを探そう」と言い出し、私たちは高田馬場方面に向かったのでした。
途中、餃子の王将の話題が出て、駅近くの王将に入りました。
私はおばさんの朝食が胃にもたれていて、最初のうちはエンジンがかかりませんでした。しかし、段々ギアが1段ずつ上がってくると気が付いたら、11時近くになっていました。2時過ぎくらいに店に入りましたので、9時間近くいたことになります。
生ビールを2杯ずつくらい飲んでからウーロンハイに移りました。10杯ずつくらい飲んだところでウーロンハイは売り切れだと言われ、その後チューハイを2、3杯ずつくらい飲んで、お開きになりました。
彼は、私を励まそうとしていろいろな話をしてくれました。Tは、「自ら命を絶つことはしてはいけない」と私に言いました。彼は、会社の同僚、高校の後輩と身近な知り合い2人が自殺で亡くなったのだそうです。
2人とも傍目には順調な人生を歩んでいるように見え、自殺をする理由がわからないと言っていました。葬儀の席でのご家族の様子は、とても気の毒なものだったと言います。
私はそこまで思い詰めているわけでもないのですが、彼の気持ちはとてもうれしかったです。
私は、その日のTの話でとても元気をもらったので、お礼を言おうと電話をすると「途中から酔っぱらって、何を話したか覚えていない」と言うではありませんか。私が拍子抜けしたのは、言うまでもありません。
私には、長野に住む中学以来の友人Nがいて、彼が出張で上京した時にあったり、私が彼の家にお邪魔したり、メールや電話で連絡を取り合ったり、長い付き合いをしていますが、学生時代の友人というのは、損得勘定抜きで付き合えるからいいですよね。
以前、姑が「学校は、友達を作るところが」と言っていましたが、実際そういう面も大きいかもしれません。
ホームカミングデーをきっかけにTとはメールのやり取りをするようになり、私はTの影響で、またジョギングをするようになり、来年の正月にはラグビーの大学選手権を見に行く約束をし、来秋にはどこかのマラソン大会に出る話を進めております。
19:19:18 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
習字
2011 / 07 / 07 ( Thu )
昨年秋くらいから、習字を再開しました。
数年前に、しばらくやっていたことがあり、中断していたのですが、また始めました。
以前に前妻からお手本をもらっていて、お手本を下敷きにして写すというやり方でやってきました。
体が覚えるまで、下敷きがなくてもお手本を再現できるまでというつもりで書いてきました。
この春、もう一歩ステップアップするためには先生に習った方がいいという気持ちになり、知人の紹介で先生に師事することにしました。
先生は実用書道を標榜されていて、これまでのような中国の漢詩ではなく、自分の住所や手紙でよく使う言葉とかを下敷きを敷かずに練習することになりました。
先生には、下敷きを敷いて書いてきたものを見ていただき、細かい点は多少直す必要があるものの、基本は十分できているとおっしゃっていただきましたが、下敷きなしで書くのは、自分が予想していたのとは比べ物にならないほど違うものでした。
最初は、本当にこれまで一生懸命練習してきたのは何なのかと思うほどでした。
それで、かなりテンションが落ちてしまった時期もありました。
それでもそれまでのように毎日というわけにはいかなくなりましたが、休み休み古い名簿を出してきて、手紙の宛名を書くように、いただいた手紙の内容を書き続けました。
最近やっと、形になってきたように思います。
いざ、下敷きなしで書いてみると、字のバランスで悩んだり、真っ直ぐ書けなかったり、自分はいつかきちんと書けるようになるのだろうかと絶望(ちょっとオーバー?)しかかったこともありました。
自転車で補助輪を外した時のように、水泳で浮き輪を外した時のように、一人でできるようになるための壁を体験したのでした。
習字など、これで終わりというもののない世界ですが、ようやく人に見せて恥ずかしくないレベルがおぼろげながら見えてきたような気がします。
08:19:11 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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