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子どもの世話を焼いてしまうのは自分が楽だから?
2006 / 11 / 30 ( Thu )
先日、知り合いのお母さん(Oさん)と話をしていて、そうだよなと思ったことがあります。
それは、子どもの世話をしてあげてしまうほうが楽だという事です。
朝起こすことから始まって、食事の用意、持ち物チェックなどの学校の支度、学校へ送り出すまでの間に、どれだけの声掛けと、場合によっては怒鳴ったり、持ち物を揃えてあげてしまうなど、手を掛けていることでしょうか。
多分、毎日毎日どうしてこんなにしてあげないとこの子は何もしないのだろうと、大抵のお母さんは考えているのではないかと思いますが、では子どもが自分から動き出すのを待つとなると、中々辛いものです。
と言って、何でもやってあげるのがいいと思っているお母さんもいないはずなのですが、どこまでやってあげるのか、いつまで待つのかなど考えていると、面倒になってやってしまって上げているということなのですね。
また、Oさんは「自分のペースと子どものペースが違う」とも言っておられました。
子どもは子どものペースで行動しているわけなので、それはお母さんのペースと違っても当然です。
自分で自動車を運転する人は、他人が運転する自動車に乗ると、その人の運転が気になって却って疲れるとか言いますよね。それと同じようなことだと思います。
だから、そういうことは当人どうし話し合うことが大切だと思います。一体本人が、何時に何をして何時にあれをして、と考えているのか、それを聞いて、しばらく本人の言うとおりにさせてみる。
意外とうまくいってしまうかもしれません。
もしうまく行かなければ、どうしたらうまくいくか、今度は本人も他人の話を聞く気持ちも少しは出てきていると思いますので、お母さんの話しも聞いてくれるのではないでしょうか。
そんなことで、少しずつ子どもに何でもしてあげるという状況から抜け出していけるのではないでしょうか。
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07:44:59 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
自分事なのか他人事なのか
2006 / 11 / 29 ( Wed )
T君は、やりだすととても集中力を持って課題に取り組むのですが、エンジンがかかるのに時間が掛かります。
エンジンが温まる前に、いろいろなものが目に入ってきて、そちらに気が行ってしまうと、中々元に戻ってきません。寄り道をしだすと、元の道に帰ってこられなくなってしまうような感じとでもいいましょうか。
ある晩、T君が夕食後に宿題をやろうとしてテーブルに着いたものの、ボーとして中々手につきません。
お風呂も入ってもらいたいし、早く寝てももらいたいお母さんは、「宿題をやらないならお風呂へ入って早く寝るように。宿題をやる気があるのなら、明日の朝早く起きてやるように」と言って、宿題を取り上げてしまいました。
翌朝、お母さんがT君に「どうしたの、宿題やらないの?」と聞くと、「宿題がどこにあるかわからない」とボソボソと答えました。
「やる気があるのなら、どこにあるか聞くとか、あたりを探すとかしたらどうなの?」とお母さん。
ここでは宿題をやるやらないの話なので、T君に本当のところやる気があったのかどうかわかりませんが、当たり前のことですが、自分がやりたいことであれば、足りないものがあれば探すとか、代わりのものを考えるとかするでしょう。
今回は、T君の話で始まっていますが、このことはわたしたち大人が、普段どんな生き方をしているかということがテーマです。
つまり、何かうまく行かないことがあった時、それを他人や社会や自分以外の所為にしてしまうのか、自分では大局を動かせないことであっても、その中で自分に出来ることを探してやって行くのかということです。
子育てがうまくいかない時においても、学校や子どもの友だちや地域の所為にするだけではなく、実際そういう問題もあるかもしれませんが、あくまで自分が出来ることを考え(その中には学校や自分たちを取り巻く環境に対してやりあうということも必要な場合もあるでしょうが、そういうことも含めて)、やってみて、その結果を踏まえてまた自分が出来ることをやっていく、ということが大事なことなのではないでしょうか。
常に「自分はどうするのか」ということを考えることは、自分にとってもとても大事なことですし、子どもたちにも伝えて生きたいことだと思います。

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08:26:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
無理に答えを出そうとすると
2006 / 11 / 28 ( Tue )
現代社会は事象を細かく要素に分けて分析する手法、近代合理主義的な思想によって発展してきました。
しかし、いくら科学が発達して、いろいろなことの仕組みがわかってきても、根本的なことはわかりません。
例えば、風邪をひくメカニズムはわかっても、なぜ風邪をひく人と引かない人がいるのかはわかりません。
一応、体力が低下しているとか、免疫力が子どもは弱いからとか説明はされるのですけれど。
また、歯を磨いても虫歯になる人がいる一方で、全く磨かないのに虫歯のない人もいる。タバコを吸わなくても肺がんになる人がいるのに、長年タバコを吸い続けてもレントゲン検査では全く綺麗な肺をしている人もいます。
そういう場合でもそれなりの説明はされますが、それは原因をこじつけているだけで、例えばタバコを吸いながら肺がんにならない方法を教えてくれるということではありません。
つまり、現代は、いろいろな技術が発達し、研究もされ、本当に大抵のことは説明が付くようになったと思いがちですが、まだすべてのことが説明され尽くしたわけではありません。
病気のことでいえば、体質とか遺伝とかいう事で説明をされますが、教育についても同じようなことが言えるのではないでしょうか。
やはり、一人ひとり遺伝やら環境やらいろいろなものが絡み合って性格が形成されているとも言えるでしょうし。
そういう意味では、誰かが唱えた○○勉強法とかいうものが、全員に向いているというものでもないのではないでしょうか。
大事なことは、一人ひとりの子どもに、きちんと向き合って接することだと思います。
あまり、周りに惑わされないことが大事なような気がします。

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09:18:24 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
親と子の根競べ!?
2006 / 11 / 27 ( Mon )
A君は、小学6年生になりますが、自分の持ち物の管理が苦手です。
毎朝のように定期券を探しています。
家に帰ればランドセルは放りっぱなし、たまに宿題をやれば教科書をしまわずにまた家捜し、といった調子で来ました。
ご両親はランドセルを隠して今度からはきちんと片付けるように念を押す、A君が探し物をしていて遅刻になりそうになっても、そのままにしておいてみたり、出来るだけ本人の自覚を促そうとしてきたようですが、何でもそこらに置きっ放しにする癖は中々直らないようです。
結局は親が手を貸してしまうからということになるのでしょうか。
最近もまた、定期券が見つからず、お母さんからお小遣いの前借をして電車賃を自分で負担して学校へ行ったということです。
A君の家では、お小遣い帳をつけさせようとした時期があって、でもそれも続かなくて(ありがちなことと思いますが)、結局お小遣いを上げるときにその帳面がなければお小遣いを渡さない、という最低限のルールを決めたようですが、今回の電車賃の件の際は、本人が帳面を持っていたものの、次回、帳面そのものが見付からないとかいうと話が更に長くなるとお母さんは考えたようで、お小遣い帳を預かるということにしたようです。
また、いずれ書こうと思っているのですが、本人の自覚を促しながらの教育というのは、とても親の方が大変頭を使いますし、骨が折れます。
だから、どうしても何か起こった後で叱る、怒る、という展開になりがちです。といって、予め親が何でもしてあげればいいということは、わたしが教室を始めようと思った趣旨とは違います。
ただ、起こった後に、本人ときちんと話しをする、ということは大事なことではないかと思います。無くし物をして、お互いに神経が高ぶっている時に叱ったり、怒鳴ったりしてみても、感情的になるだけです。
まあ、そのときに腹が立って多少お小言を言うことは気持ちはわかりますので、それはいいとして、その晩とかにきちんと話し合い、出来るかどうかは別にして、本人の口からちゃんとやるという言質を取ってみるというものではないでしょうか。
そういうことで、問題が起こってからの後追いの展開から、問題が起こらないように(親が手を掛けるのではなく)本人が自覚を持つ先回りの展開に転換できるといいと思います。

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09:00:03 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
宿題を父母がチェックするって?
2006 / 11 / 25 ( Sat )
これはどういうこと?と思うようなことを聞いたので、考えてみようと思います。
それは、すべての小学校でそうなのかどうかはわからないのですが、宿題を提出前(要するに前日の夜ですね)に父母がチェックすることになっているようなのです。
そのチェックが間違えを直させるものなのか、やったかやってないかだけをチェックするものなのか定かではないのですが、それでもチェックをさせるというだけでも何がしか父母に関与させようとしていることになります。
といって、その宿題は担任の先生に提出されて、採点されて、花○が付いて帰ってきたりするのですが、予め父母がチェックしたものが満点だったとして、本人はそれでもうれしいのでしょうか。
まあ実際は○が付いていないよりは付いているほうがうれしいのだと思いますが、わたしには父母がチェックするということの意味がわからないのです。
最終的に先生が採点するのならば、間違えは間違えで、いいのではないかと思うのですが。
ひとは間違えをするものなのですから、間違えは次に直せばいいことなのですし、先生に提出する前にチェックをして間違えをなくしておくことが本人のためになるとは必ずしも思えません。
やはり、勉強でもスポーツでもトライ・アンド・エラーを繰り返して身に付いたり、気が付いたり、学ぶことも多いと思うのです。

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21:45:40 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
急がば回れとはならなかったけれど
2006 / 11 / 24 ( Fri )
Iちゃんは、小4で、今小4-10の教材のところで壁にぶつかっています。
Iちゃんは、「難しいからやりたくない」と言って、中々教材に取り組みません。
本当は、「挑戦して、それをクリアできたときは、気持ちいいんだよ」とか言って、勧めてみたいところなのですが、きっと説得になってしまって、同じことの繰り返しになると思ったので、「少し戻ってみようか」という提案をしてみました。
Iちゃんは、この提案には乗ってきました。
わたしは、割る数が2桁で行き詰っているIちゃんに、いっそのこと掛け算からやり直してみては?というつもりで「小2まで戻ってみる?」と聞いてみました。
思い切って戻って、易しいところで自信をつけてはどうかと思ったのです。
Iちゃんの答えは「NO」でした。「小3は?」「NO」ということで、結局Iちゃんの意思により小4-9に戻ることにしました。
これで気を取り直してチャレンジしてくれるといいのですが。
わたしは、壁にぶつかった時に、果敢にチャレンジしていくこともいいと思いますが、思い切って戻って、そこを目安時間の半分で出来るくらいまで頑張ってみるというのも手ではないかと思ったのでした。
もちろん目安時間でミスが3個までならばクリアはクリアなのですが、そこを徹底的にやることで、一気にステップアップできる場合もあるような気がするのです。
ともあれ、Iちゃんは小4-9まで戻ったわけですが、わたしの中には、Iちゃんが、自分は実際小4なので、小2や小3には戻れないと初めから決めてしまっているように思えるので、小4-9でうまくいかない場合には、思い切って戻ってみることを再度提案して見たいと思っています。

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21:39:50 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『世間』の喪失
2006 / 11 / 24 ( Fri )
少し難しいタイトルになってしまいました。
ただ、言いたいことは簡単で、わたしは昭和30年代の生まれですが、わたしたちの子供の頃は、何となく『世間』というものがまだあったような気がするのです。
実際に両親から「世間様に顔向けが出来ない」ということを聞いた記憶はありませんが、それでも『世間』という言葉を何となくは覚えています。
その頃は、何かうざったいものという印象でしかありませんでしたが、犯罪の低年齢化とか、凶悪化とかいうニュースを見聞きしていると、何か箍が外れてきているのかもしれないな、と思うのです。
そして、日本においてはその箍が『世間』だったのではないかという気がするのです。
わたしが言うところの『世間』というのは、別に何か実態があるものではなく、わたしたちは、いつも誰か(これも特定の人のことではない)に見られていて、人の道に外れるようなこと(社会の秩序を乱すようなこと)をすると、世間に顔向けが出来なくなる(まともな社会生活が送れなくなってしまう)ということで、何となく自らを律する拠り所のようなものだと思ってください。
西洋ではキリスト教が、イスラム社会ではイスラム教がというように、多くの社会では宗教がその役割を果たしているのだと思います。
日本には、そういう宗教と比較できるような強い宗教(意識)はありませんが、その代わりに、『世間』であるとか『お天道様』であるとかいう概念をうまく使う知恵を持っていたのだと思います。
そういう知恵を、現代のわたしたちは忘れてしまいつつあるような気がするのです。
それでは、失われてしまった『世間』をどうして取り返すのか、または新しい価値をどうやって見出すのかということになるのですが、それについてはわたしには今の所明確な答えはありません。
ですのが、まずは、わたしのような考え方もあるかな、と思っていただいて、時々自分の行動を『世間』に対してどうだろうかと省みていただいてはどうかと思うのです。

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10:39:21 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
困ったことなど起こらない
2006 / 11 / 22 ( Wed )
今回は少しこじつけがきついかもしれません。
わたしは学生時代、運送屋さんの運転手助手兼作業員のバイトをしていました。
そして、実は、最近、塾の生徒が集まるまでということで、その運送屋さんに不定期で働かせてもらっているのです。
その運送屋さんは、某大手通信機メーカーの事務所移転や装置の輸送を請け負っている会社の下請けのような仕事がメインです。
時には、工場へ行って装置を積んで、それを別の事業所に下ろしてお終いという日もあれば、事務所の移転で朝から夕方までビッチリ拘束される場合もあります。
それでも、残業になった場合は別として、いただくお金は一緒です。
となれば、楽な仕事に当たったほうが、運がいいと思うのは、人情というものです。
何回か比較的楽な仕事が続いていた時があって、その後に、引越しの仕事が入りました。
引越しというのは、食事を出してもらえる場合があったりとか、ご祝儀を出してくださる荷主さんがいらしたり、バイトとしてはおいしい部分もあるのですが、梱包作業やら、エレベーターがないところでは、家具を階段を担いで下りたり、逆に上ったり、イレギュラーなことが得てしてあるもので、仕事としてはきついほうに入ります。
仕事が終わって帰る電車の中で、「今日はきつかったな」と思いながら、「でも、楽な時もあって、きつい時もあって、そういうものだよな」などと考え直したりしたのでした。
大体、バイトをさせてもらっていること自体がありがたいことなのです。
塾をやろうと思って、ただ始めてすぐに生徒が集まるとは思えなかったので、少しでも足しになればと思い、バイトをしようと思って、学生時代にお世話になった社長さんにお願いをして使ってもらっているのでした。
そう考えると、いろいろなことに感謝をしなければならないなと思うのです。
塾をやることに反対をしなかった家内とか、落ち着くまではと援助をしてくれている家内の実家のお母さんとか。
もちろん、甘える気持ちではなくて、うまく表現できないのですが、困ったことなど起こらないのだなと思うのです。
自分に起こることを素直に受け入れさえすれば、何が起きようと、それは困ることではなくて、乗り越えていけばいいのだと思うのです。
仕事をされているお父さんやお母さんはお分かりだと思いますが、仕事が順調な時もあれば、うまくいかない時もあると思いますが、真剣に取り組んでいれば、それなりの結果に収まっていくものだと思います。
だから、子育てとか、教育とかいって、子どもが言うことを聞かないとか、忘れ物が多いとか、非行に走ってしまってとか、いろいろなことがあると思いますが、困ってしまわないで、どうすれば乗り越えていけるのかと真剣に考えれば、きっといい方法が見つかると思いますし、手を差し伸べてくれる人も現れるのではないかと思うのです。

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12:37:22 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ある朝の出来事
2006 / 11 / 20 ( Mon )
Aちゃんは、幼稚園の年少さん。
最近、朝晩がめっきり寒くなってきたので、お母さんは冬物の洋服を着させようとしていました。
ところがAちゃんは、大体毎朝がそうなのですが、自分が気に入ったものしか着たがりません。
お母さんのお友だちがプレゼントしてくれた服等も合わせると結構な枚数があるのに、その内の何枚かを着まわしています。
どこのご家庭もそうだと思いますが、朝の時間が経つのは早く感じられるもので、お母さんは幼稚園の時間が気になりだしています。
「これはお姉ちゃんが小さい頃着ていた服で可愛いでしょ。」とか「(まだ衣替えが完全に出来ていないので)これくらいしか暖かい洋服無いから、これ着よう」とか言っても、聞く耳を持ちません。
「じゃあ、自分で着たい洋服を持ってきなさい」と言っても「どれも嫌なら寝巻きで行く?」と言っても、「嫌だよ」の一点張り。
お母さんも最後は切れて、「嫌というなら、嫌というだけではなくて、自分か着替えたいものを持って来い。このままじゃ幼稚園に遅れる」と怒鳴っても、「Aちゃんは、嫌だよ」と言って泣いています。
結局は、お母さんが、Aちゃんと一緒に服を選んで、何とか幼稚園に間に合ったようです。
当事者にしかわからないこともあると思いますが、わたしが少し思ったのは、お母さんが着せたい服があって、Aちゃんが着たい服があって、その中間が無いように思うのです。
最後は折り合うところを見つけている訳ですので、「この服のほかに暖かい服はないんだけど、一緒に見てみる?」とか「着たい洋服を一緒に探してみよう」とか、本人がどうしても薄着で出掛けたがったら、バッグの中に上着を入れておいてあげるとか何かあるのではないかと思うのです。
お母さんからすると、「自分で好きな服を探しなさい」と言った時点で、押し付けているのではないという気持ちがあるのでしょうが、それは「わたしのいうとおりにしないなら勝手にすれば」という意味であって、Aちゃんの気持ちを汲んであげたいという気持ちは少し欠けているような気がするのです。
誰しも、自分の思い通りにならないと、カッとなるのですが、わたしなぞは他人だから気がつくようなものですが、後で冷静になった時に、少しは相手の気持ちを聞いてあげてもよかったかな、と思うだけでも次回にほんの少しでも違う対応が出来るのではないでしょうか。

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学力と効率性
2006 / 11 / 19 ( Sun )
先日、基礎学力の重要性についてお話しました。
今日は、その続きです。
前回お話したように、周りの子と差をつけようとすると、もっと言えば、受験を視野に入れると応用問題にばかり目が行きがちですが、実際には基礎学力が大事なのです。
では、基礎学力をつけるにはどうしたらいいのでしょう。
例えば、算数・数学で言えば計算、国語で言えば漢字の書き取り、こういうことは、先生から教わっただけで身に付くものではありません。
やはり、自分で何度もトレーニングをして見に付くものだと思います。
お父さんやお母さんも、昔英単語を覚えるのに、新聞紙に何度も書いて覚えなかったでしょうか。
野球の基本は、キャッチボールです。キャッチボールというのは、ただ、相手に向かってボールを投げ合うことでははなく、きちんと相手の胸に投げ込まなければなりません。
コーチからボールの投げ方を教わったからといって、相手の胸に投げ込めるようになる訳ではありません。
繰り返し繰り返し、大抵の場合には練習の始めには必ず、試合の前には時間が短縮されることはあっても、行われているはずです。
基本というのはそういうものであって、試合形式の練習ばかりしていてうまくなる訳ではないのです。
勉強も同様だと思います。
世の中には、こうすると成績が伸びるとかいう本や話が溢れていますが、問題なのは方法論ではなく、基本的な学習を本人がやり続けられるかというところにあるのではないでしょうか。

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23:57:43 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
基礎学力
2006 / 11 / 18 ( Sat )
某私立中学校の学校説明会でのこと。
入学試験問題対策についての数学担当教諭の話。
100点満点の試験で、基礎的な問題の配点が55点くらい。残りが応用問題で、その応用問題も基礎を問う問題があって、その解答を使って更に発展的な問題に取り組むようになっていると説明していました。
そして、合格ラインは60点から65点くらいが例年の傾向といいます。
私たちが大学受験をする頃にもよく言われたことですが、結局は基本的な問題を如何に確実に得点して、応用問題をいくつ上乗せするかということがポイントなのですね。
いざ受験となると、どうしても難関校がどれだけ難しい問題を出してくるのかに意識がいってしまって、そういう難問ばかりをテキストに載せて、如何にそういう問題を解くのかを教えることを売り物にしている塾に行かなければ、受験には向かないと考えてしまいがちです。
しかし、実際には問題の解き方がわかっても、計算で間違えてしまうような基礎学力が鍛えられていない状態では、努力をした割には、基本問題での取りこぼしも含めて必要な点が取れないという結果になってしまうのではないでしょうか。
そういう意味で、「計算は出来るのだけれど、文章題が出来ない」という声をよく聞くのですが、本当に計算が出来るといえるレベルなのかどうか、もう一度お子さんの学力を見直されて見てはどうでしょうか。

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英語学習法
2006 / 11 / 16 ( Thu )
先日、学生時代からの友人N氏から、彼の長女で小6のYちゃんの英語の学習法について相談がありました。
Yちゃんは、英検の準2級に挑戦しているそうですが、壁にぶつかっているとのと。
N氏は、Yちゃんに英語を英語として理解させる方針でやってきたようですが、話が難しくなってきて単語の理解力に限界を感じてきているようです。
わからない単語の羅列になってしまって、聞き取りも出来なくなっている状況だそうです。
また、言いたいことが英語にできないという問題もあるようです。
N氏は、やはり単語は単語で最低限覚えさせようかとか、作文を問題集か何かで補おうかと考えているようです。
わたしは、どの勉強法がいいかということはよくわからないといいますか、多分英語なら英語が出来る人に聞いてみれば、その方法はそれぞれで、どうしてその方法で勉強したのかといわれれば、たまたまついた先生がそういう方法で教えたとか、本屋で参考書を探していてなんとなく腑に落ちた本にめぐり合ったとか、英語の音楽を聴いているうちに耳が慣れてとか、そういうことではないかと思います。
それで、そういう人たちは「あの先生のおかげで」とか「この本に出会って」とか言うのでしょうが、結局はその本人が努力したことに他ならないのです。
受験生時代を思い出しても、いろいろな参考書に手を出すより、少しやさし目の参考書を丹念に身に付けていった方がいいと言われたと思います。
もちろん、ある程度勉強が進んで、自分の弱点がわかってきたところで、その弱点を補うために新たなアプローチをとってみることは意味のあることだとは思います。
「学問に王道はない」とはよく言ったもので、どんな勉強方法をとっても、中々進まない状況はあると思います。
そこを乗り越えていくことが一番のポイントではないでしょうか。

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好きこそ物の上手なれ?
2006 / 11 / 14 ( Tue )
例えばスポーツ選手の場合、きっかけはともあれ、好きでやっている場合がほとんどだと思います。
最初の頃は、楽しいという気持ち一杯だと思いますし、始めたばかりの頃は上達も早くて何時間でも時間を忘れて練習をしていることでしょう。
しかし、やがて、やろうと思うことが出来なかったり、勝てない試合が続いたりする時期がやってくるでしょう。
また、他に面白い遊びなりスポーツに巡り合うこともあるかもしれません。
もちろんそこで打ち込むものを乗り換えて成功する場合もあるかもしれませんので、何をこれだと決めるのかは難しい問題もありますが、いずれにしても、壁というものは必ずやってくるものでしょう。
きっと、練習に気持ちが乗らない時期だってあるはずです。
そういう時に、そこから逃げず、壁にぶつかっている自分であったり、練習に身が入らない自分に向き合い、それを乗り越えていけた人がいわゆる一流と呼ばれるようになるのだろうと、わたしは思っています。
スポーツ選手を例に出していますが、こういうことはわたしたちの身に度々起こっているのではないでしょうか。
このブログをお読みになっていらっしゃるのは、小さいお子さんをお持ちのお父さんやお母さんが多いと思うのですが、お父さんは職場で、お母さんは日常の家事などで、日々体験されていることでしょう。
そして、そういうことを乗り越えていくことが生きていくうえで大切なことだということもよくご存知のことと思います。
皆さんのお子さんがみなイチロー選手のようになれるかどうかは別にして、お子さんの日常のいろいろなことの中で、いやなことも我慢してやる、出来なくて投げ出したいときにもやり遂げるという体験をさせて上げられるように気をつけていて上げていただきたいと思うのです。

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子どもの気持ち
2006 / 11 / 13 ( Mon )
過去に試したことがあるのですが、子どもたちに自分がこうなりたいと思うことをいくつでもいいので書いてみてといって書いてもらったことがあります。
子どもたちは、忘れ物をなくしたいとか、計算が速くなりたいとか、サッカーがうまくなりたいとかそれぞれに自分のこうなりたいという気持ちを書いてくれました。
わたしは、それでどうしようとか考えていた訳ではなくて、ですから子どもたちが書いたものは見ないと約束して(実際は見たので何を書いたかを知っているのですが)、書いたものは封筒に入れて日付を書いて、もちろん名前も書いて、仏壇の引き出しに入れてもらいました。
わたしがやってみたかったことというのは、忘れ物が多かったり、宿題を中々やらない子どもたちが、実際はどういう気持ちでいるのかを知りたかったのです。
結果は上述したとおりで、その時点で出来ているかどうかは別にして、忘れ物もなくしたいし、勉強も出来るようになりたいし、運動もうまくなりたいと思っていることがわかったのです。
数人のサンプルしかないので、これをもってすべての子どものことを言うのは早い気もしますが、わたしはほとんどの子どもが同じように向上心を心の底には持っていると信じています。
確かに、年齢が上がっていくと感情も複雑になっていきますので、ストレートにそういう反応が出るとは限らないとは思いますが、例えばわたしがやったように誰も見ないという約束をするなどすれば、素直な気持ちが書けるのではないでしょうか。
その場合には、例えばお正月とかに、内容を公表しなくてもいいのでという条件付きで、何割くらい達成できたかを報告し合い、また新たに自分の気持ちを書いてみるという風にしてはどうでしょうか。
いずれにしても、表面に表れていることを問題視するばかりではなくて、子どもたちが本当に考えていることに耳を傾けてみることも大事なことではないでしょうか。

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幼稚園受験の一風景
2006 / 11 / 13 ( Mon )
幼稚園受験も、私立は終盤にさしかかり、いくらか時機を逸した感もありますが、少し述べてみたいと思います。
ある日の個人でやっておられる、割と厳しい指導を信条としている幼稚園受験のお教室でのこと。
Sちゃんは、この教室に通い出して1年近くになります。
最初の頃は、もの珍しさも手伝って、進んで通っていましたが、本人の好不調の波もあるでしょう、段々通うことを拒むようになります。
しかし、教室の先生ももちろん熱心に教えてくれますし、お母さんも何とか乗り切りたいということで、なだめすかしながら連れて行っていました。
その日は、Sちゃんは、とりわけ乗りの悪い日でした。
先生はお遊戯を教えているところでしたが、Sちゃんがあまりにやる気がないのに切れそうな状況でした。
「Sちゃん、ほら、しっかりやりなさい!」と懸命ですが、Sちゃんは聞いていません。
後で、お母さんは、家での取り組みについてお小言を言われるわけですが、お母さんも、最近のSちゃんの態度には困っているのです。
お母さんが、何かをさせようとすると、ことごとく反対のことをします。
先生が切れても、お母さんが切れてもSちゃんは平気です。
かといって、家ではお兄ちゃんと紙を切ったり張ったりしておもちゃを作って元気に遊んでいますので、基本的にやる気のない子ではありません。
こういう様子を見ていると、先生やお母さんよりもSちゃんの方が上手に見えてきてしまうのです。
結局、子どもを言いなりに出来ると思っている大人は、大変な思い上がりをしているということなのでしょう。
お母さんの気持ちもわからないではないのですけれどね。

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イチロー選手
2006 / 11 / 11 ( Sat )
前回は、少し大きなテーマに挑戦してしまって、話がとりとめなくなってしまいました。
今回はイチロー選手についてです。
先日、イチロー選手と糸井重里氏の対談本を読みました。
その中で、わたしが感心した点を二点ほど紹介させていただこうと思います。
一点目は、イチロー選手が、一時期勉強を一生懸命やってみたという話。
その結果、クラスで上位にはなったけれど、一番にはなれず、自分が一番を目指すべきはやはり勉学ではなく野球だと悟ったということ。
二点目は、一点目とは別に、学生時代に宿題だけはきちんとやったということ。
イチロー選手は、野球選手はプロになると個人営業のようなところもあるけれど、監督の下で我慢しなければならないこともあるはずと考え、我慢の練習のために宿題をやることを自分に課したというのです。
普通のスポーツ選手でこんなことを考えた人は、相当珍しいことだと思います。
そうでなくとも、自分は文系だから理系の科目はやらないとか(もちろんそれはルールの範囲内であれば構わないのは構わないのですが)言っている人の方が断然多いわけですから。
またその内に書こうと思っているのですが、好きなことでも時に嫌になってしまうことがあるのが普通だと思いますから、イチロー選手のような人は本当に大した者だと思わざるを得ません。
イチロー選手は世界的な野球選手だから特別、と単純に考えるのではなく、子どもを育てる参考になればと思っているのです。

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必修科目の履修漏れ問題
2006 / 11 / 09 ( Thu )
タイトルの問題について、少し考えてみたいと思います。
どういうことかというと、わたしは高校を卒業して20数年経つのですが、では実際わたしが高校を卒業する時点で、履修した科目をどれだけ履修していたかというと、まずもって自信を持って言えるレベルではありません。
「履修した科目をどれだけ履修したか」というわかりにくい表現になったのは、「履修」という言葉をYahoo!辞書(大辞泉)で調べると「規定の学科や課程を習い修めること」とありますが、わたしは卒業をしているので「履修した」とは言えるが、本当に「習い修めたのか」と言われれば、教室を抜け出して授業をサボっていたことはなかったけれど、修めてはいないぞ、ということを言いたかったのです。
かなり大雑把な議論になってしまいますが、中学を卒業する人数のほとんどが高校へ進学しているとして、彼らのうち、きちんと授業を聞いて、予習復習もして、教科書の内容の7割程度を理解している学生がどれほどいるのでしょうか。
わたしは、ほとんどいないと思っているのですが。
だから、「習い修めている」という趣旨からすれば、今問題になっているのは、授業すら行われていないともいうことのようですが、では履修した(ことになっている)科目について、きちんとある一定レベルの学力が身についているのかという問題はどうなるのかと思うのです。
もちろん、高校には中間、期末のテストはありますから、そこできちんと評価されているはずという理屈はあるでしょうが、実際どうなっているかは皆さんにもお分かりのはずだと思います。
BebesseのHPにも中学生、高校生の勉強時間の二極分化が指摘されており、こういった情報もわたしが適当に言っているようで満更そうでもないことを示していると思います。
つまり、今となっては自分を棚においてお恥ずかしい限りではありますが、高校においての卒業資格というものを明確にし、それに対してきちんと対処すべきなのではないかと思うのです。

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幼稚園受験
2006 / 11 / 08 ( Wed )
Sちゃんは、今年幼稚園の2年保育の受験をしました。
その時のことですが、Sちゃんは普段はとても活発で、公園で遊んでいても新しいお友だちをすぐに作ってしまうような子です。
考査の当日、この日は集団遊びを行うことになっていて、Sちゃんは幼稚園に着くまでも、プレイルームに入るまでも至ってご機嫌だったということです。
考査が終わって、お母さんが今日は何をしてきたのか聞いてみると、どうやらSちゃんは、みんなとは遊ばずに椅子に座って見学をしていたようでした。
本人は、「遊びは、○○幼稚園(現在通っている幼稚園)でするから、この幼稚園ではしなかった」というようなことを言ったらしいのですが、お母さんは、現在の幼稚園で最近お友だちとけんかをした話を聞いていたのと、Sちゃんの性格から、張り切りすぎて誰かとけんかにならなければいいなと思っていたくらいでしたから、Sちゃんの話はまさに寝耳に水でした。
それも本人が望んだ(その幼稚園を選らばなかった)のだという言い方もあって、それはそれでいいのですが、お母さんとすればいつもどおりにしてくれればと思えば思うほど残念なことだったと思います。
幼稚園児に状況を考えろとか言っても多分わからないでしょうしね。
中には模試など受けても、どの幼稚園を受けても大丈夫と太鼓判の子もいるのでしょうけれど、その他大勢の子どもたちにとっては、普段どおりにということ自体が難しいことなのですね。
もちろん、模試出太鼓判の子が本番で必ず力を発揮できるのかといえば、これもまたわからないことですしね。

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ある土曜日
2006 / 11 / 05 ( Sun )
S君は、私立小学校に通う1年生。
S君の学校は、ほぼ隔週に近い割合で土曜日も学校があります。
ある土曜日の朝、S君のお母さんはS君の妹の用事があり、出掛けていました。
すると、S君から携帯に電話があり、「今日、ぼく学校だったよね」と不安そうに言ったといいます。
そうです、S君のお母さんは、妹のことで、S君のことをすっかり忘れてしまっていたのです。
しかし、お母さんがS君に確認すると、S君は食事も済ませ、学校の支度も終え、学校へ行くばかりの状況だったのです。
お母さんは、S君に自分がうっかりしていたことを謝り、学校へ行くように話したということです。
うまく子どもとの関係を作っていけば、小学1年生でも、この位しっかりするのですね。
S君は、宿題まではまだ、声掛けをしないとうっかりしてしまうこともあるようですが、自分で起きることに関しては、目覚まし時計を与えて自分で起きるように促して、様子を見ていたら、自分で起きられるようになっていったということです。
たまに時計をかけ忘れたり、目覚ましの時間を早くセットしすぎてその時間に起きられなくて、本来起きればいい時間に時計が鳴らず、お母さんに声を掛けてもらうということもあるようです。そういう時はとても残念そうにしているということです。
S君の場合には、お母さんが手を離すタイミングがよかった例のような気がしています。

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1日に何度「何々しなさい」と言っていますか
2006 / 11 / 03 ( Fri )
わたしは、教育研究家の平井雷太氏の著書『「~しなさい」と言わない教育』に出会ったのが、結果的には氏の開発した教材を使った塾を始めることになったくらいですから、このブログにおいても、氏の影響がかなり出ていることと思います。
氏には到底かないませんが。
そこでいきなり本題ですが、実際に、日々の生活において「何々をしなさい」という言葉は、かなりの回数口から出ていることと思います。
そこで一つの例ですが、こんなことになってはいないでしょうか。
毎朝、子どもを起こしているとします。
本人はぎりぎりまで寝ているのに対して、お母さんは少しでも余裕を持って支度をしてもらいたいので、これまでの声を掛けてから実際に起きてくる時間を考慮して、少し早めに声を掛けます。
本人は、声を掛けられた時間では、余裕がありすぎると思うので、その分ゆっくりします。
お母さんは効果がないと見ると、さらに早めに声を掛けることになって、結果としては、起きるまでの間、かえって声を掛ける時間が長くなってしまう。
わたしも時間には余裕を持って行動したほうが忘れ物も減るし、時間に間に合うかどうかドキドキすることもないのでいいと思いますが、そういう理解をお互いがしていないと、上のようなすれ違いが出てしまうような気がします。
お母さんが声を掛けるのも、目覚まし時計がなるのも、同じようなものと考えるのであれば、お母さんが声を掛けるのは、出来るだけ目覚まし時計と同じような感覚で、起きるまでということではなくて、本人が声を掛けられたと認識が出来る程度でいいのではないでしょうか。
そこで二度寝をしてしまうかどうかは、本人の問題ということで。
時間に余裕を持つかどうかは、また別の機会にでも話し合って、起きる時間を見直せばいいのではないでしょうか。
この程度の声掛けで起きられるようになれば、もう目覚まし時計で起きるのと大して変わりはないので、実際は自分で起きられるということですから、自分で起きてもらえばいいのですね。
こんな風に、少しずつ「何々をしなさい」と言わずにすむようになっていくのではないかと考えているのです。

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忘れ物
2006 / 11 / 02 ( Thu )
A君は、小学6年生の男の子です。
彼は、とても優しい性格の子ですが、何かに夢中になっている姿をあまり見ない子です。
そういう性質と関係あるのかどうかわかりませんが、忘れ物が多いのです。
実際には、忘れ物になってはいませんが、お母さんが気付いてあげて救われているケースがかなり多いのです。
A君は、学校からの連絡も出しませんが、たまたまお母さん同士の連絡の中で行事とかがわかって、声掛けをして必要なものをやっと言うようなケースがよくあるようですし、本人から言い出すにしても、当日の朝になってからということもよくあるようです。
本当に、お母さんが何も言わなかったら、彼はどうするつもりなのでしょう。
親御さんにとっては、大変忍耐のいることだと思いますが、実際声を掛けないとどうなるのか見てみるというのも手かもしれません。
毎度毎度では、本人の自信喪失に繋がるかもしれませんので、それでも何回かに1度は、敢えて忘れ物をしてしまうことで、本人の自覚を促す必要があるようにも思えるのです。

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子どもの言いなりにならない
2006 / 11 / 01 ( Wed )
Rちゃんは、私立小学校に通う4年生です。
Rちゃんは、いろいろなことに次から次へと興味を持ちますが、長続きしません。
小学校6年生のお兄ちゃんが受験勉強をしていると、自分には必要がないのに同じ勉強をしたいといいます。といって、問題集を与えても何日も続きません。
現在、ピアノ、テニス、英語と補習塾に通っているのに、まだ習い事を探しています。
学校の宿題や学校からの連絡をお母さんに渡すのすら心もとない状況なのですから、そんなにいろいろやってどうするの?と思いたくもなります。
それぞれをきちんとこなしているのならいいのですが、そうでないならば本人と相談して、少しやることを整理したほうがいいのかもしれません。
例えば、ピアノの練習を週5時間以上やることが出来るようになるまで、英語とテニスはお休みとか、条件をつけてみることもいいかもしれません。
やりたいことがあることはとても素敵なことですが、やりたいことだけをやっている状況というのは、裏を返せば、やりたくないことはやらない、昨日はやりたかったけど、今日はやりたくない、のように気分に振り回されてしまうということになりがちです。
だから、やりたいことをセーブすることが出来るということも、やりたいことを続けるということと同じくらい大事なことだということが見えてきます。

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