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役に立つ知識って何だ!?
2006 / 12 / 29 ( Fri )
役に立つ知識というものは、時代やその人が置かれている環境で変わるものではないか、ということを書いた時に、もう一つ考えていたことがありました。
毎日、世界ではいろいろなことが起こっています。戦争、飢餓、スポーツの祭典など。また、世界、宇宙などを理解しようといろいろな研究がなされています。
それら、自分の知らないことを知るということは、人間の根源的な喜びだと脳の研究で分かってきているようです。
もちろん、知識は、最終的には人類の平和に役立てられるべきものですが、それ以前に、「知る」ということ自体がとても楽しいことのはずなのです。
そして、皆さんがあまり自覚を持たれていないかもしれませんが「あ、これどういうことなんだろう」と思って、新聞を読んだり本を見たりPCで調べたりすることがあると思いますが、そういうことができるバックボーンは、曲りなりにも義務教育を経てきたことにあると言えるのではないでしょうか。
小・中学校で「読み・書き・そろばん(計算)」を習ったことが、今の生活をある意味支えていると思います。
その上で、冒頭の方で述べたように、世界には「分かれば面白いことが(もちろん面白いだけでは済ませられないことも含め)沢山あって」、皆さんに知ってもらいたくて待っているのです。
そういうことへのアクセスを身近にするためには、やはり基本的な知識が必要になる場合があると思うのです。
それを身に付けさせてくれるところが学校というところだと思うのですが。
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01:17:06 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
年末年始の予定
2006 / 12 / 28 ( Thu )
現在、HPの準備を進めている最中です。
本来であれば、そちらの方に情報をアップすればよいのですが、今回はこちらに載せることにします。
年末は、29日まで、年明けは4日から始めたいと思います。
無料体験、ご質問、その他ご相談等ありましたら、どうぞ上記スケジュールを参考にしていただき、ご来塾いただけますようお願いいたします。

ところで、このブログ、毎日更新を目指して始めたのですが、中々思うようにいっていません。
Yahoo!で読みましたが、ブログをやめた原因で一番多いのが更新が大変になったということですので、やはり大変なことなのでしょう。
ネタに困らないよう、メモ帳を持ち歩き、気が付いたことがあったらメモるようにしているのですが、後で見返すと、メモをした時ほど心がときめかないとか、文章にしてみるとインパクトがないなとか、書いているうちに何を言いたいのか分からなくなったりと、四苦八苦しながら書いています。
教育については、本当にいろいろな考え方があるので、みんなで言いたいことを言い出すと収拾が付かなくなるといけないと考え、トラックバックとコメントは、拒否に設定していますが、質問等あれば、メールをいただければ、出来る限りお答えしていきたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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00:48:49 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
子どものペース
2006 / 12 / 26 ( Tue )
幼稚園年少のKちゃん、1ヶ月前くらいかららくだを始めました。
やっているのは、0から9までの数字を書くプリントと、あ行の平仮名のプリントです。
様子を聞いてみますと、途中から左手で書いたり、0を書いたら9を書いて、1に行って8に行くというように書いてみたり、途中であまりらくだに熱心でないお兄ちゃんに、らくだをやっていることをアピールしたり、親から見れば、のらりくらりとやっているようです。
それでも、時間は決まってはいないようですが、自分で今からやりたいと言ってやっているようなので、いいのではないかと思います。
意外と押し付けることと押し付けないということの差は、こんなところに出るかもしれません。
Kちゃんは、まだ、先に進むということを意識していませんが、親の方が意識して、せっかく早く始めたのだから、小学校に上がる前に、どのレベルまで行っていてくれれば、などと欲を出すと、きちんと0、1、2・・・と書きなさい、と言うようなことになり、せっかく自分からやる気を出しているKちゃんは、面白くなくなってしまうかもしれません。
先に進もうとすれば、遊びながらやっていたのでは目安をクリアできませんので、クリアしていないから先に進めないことを理解してもらえば、早くやるようになるのではないでしょうか。
これが学校へ通うようになっていると、どうしても学年のレベルには追いついてもらいたいとか、あわよくば他のこの先を行ってもらいたいとか考えてしまいがちですが、その子のペースを見極めながら、付き合って行ってあげられればいいのだと思うのです。

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13:11:27 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
スキー合宿
2006 / 12 / 24 ( Sun )
小4のRちゃんがスキー合宿の準備をしていたときの話。
お母さんの話によりますと、Rちゃんは、これからスキーをしに行くというのに、着ていく服が気に入ったのがないと、本人がお気に入りの服を持っていこうとしたらしいのですが、これがスキー場に着ていくようなものではなかったといいます。
そこでRちゃんとお母さんの間で、バトル?があったようです。
わたしは、こんな風には出来なかっただろうかと思いました。
せっかくRちゃんに自分で準備をしてもらったのですから、Rちゃんの好きなようにさせる。
お母さんが見ていて違うなと思うことがあったら、もちろんそれは指摘をする。
しかし、Rちゃんがそれでいいというなら、それはそれとして、お母さんは自分の考えで、もう一つ荷物を作る。
そして、引率のインストラクターの方に、その経緯を伝え、本人が寒くて困っていたり、本人が、自分の用意したもので失敗したと気付いたような言動が見られたりした時に、お母さんが作った荷物を渡してもらうように頼む。
合宿の期間によっては、荷物の量も違って、このようにうまく行かないかもしれませんが、本人がより納得できる方法ということで考えてみると、こんな方法もあるのではないかと思ったのです。

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09:24:13 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
agreeとunderstand
2006 / 12 / 23 ( Sat )
今日も、ラジオネタです。
今回は、オリンピック・メダリストの有森裕子さんの話です。
有森さんがいっていた話で、なるほどと思ったのは、最近はagreeを求め過ぎるのではないか、understandを心掛ければ人間関係でうまく行くことも多いのではないかということでした。
一言で言えば、同意を求めるのではなく、理解する努力をすべしということだそうです。
確かに、近頃流行のコーチングなどでも言われることですが、相手の話を聞くということは、相手が言いたいことを受け入れるということであって、鵜呑みにすることではないと言います。
有森さんの話では、わたしの聞き間違いがなければ、同意を求めすぎるという表現を使っていましたので、聞く側の問題というよりは、話す側が自分の考えを押し付けることが多いのでは、という感じだったと思います。
いずれにしても、意見の違いを受け入れる、違いを受け入れた上で、互いが納得できるところを見つける努力をすることが大事だ、ということになるのでしょうか。
この話は、夫婦間の問題の話の流れで出てきたことですが、親子間でも同じようなことがいえるのではないかと思い、今日のテーマとしてみました。

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10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学校というところ
2006 / 12 / 22 ( Fri )
わたしは、午前中に民放ラジオを聞いていることがあるのですが、少し気になることがあって、放送局のHPにアクセスしてみました。
そこで、自分が知りたいと思っていたこととは別に、面白いものを見つけました。
ある番組の中で紹介されていた「本日のお言葉」ということで、内田百氏の「社会に出て役に立たぬことを学校で講義するところに、学校の意味がある」というものでした。
このブログの中で時折触れているのですが、最近の世の中は、何でも簡単に考えすぎるように思います。
学校で勉強することが社会に出て役に立つのかとはよく出される疑問ですが、いわゆる役に立つことだけ知っていれば、それで通るものでしょうか。
例えば、中高年の方たちが若い頃にはパソコンなどというものはなかったので、もちろんパソコンが使えるということは役に立つこと以前ではありましたが、役に立つということ自体が、時代とともに変わっていく場合もあるでしょう。
また、立場によっても役に立つ知識は変わってくるかもしれません。会社に入ったばかりの頃は、自分のことだけ考えて、成績を上げていればよかったものが、部下を持つようになれば人を使うことを覚えなければなりませんし、より大きなプロジェクトを任せられるようになれば、他の部署のことも分からなければならないでしょう。
そうすると、結局は必要になってからそれを覚えていくというといことの方が、実際には多いのではないでしょうか。
資格試験を受けるというような場合は別ですが。
そんな風に考えれば、役に立つことだけという考え方がそもそもおかしい気もするのです。
学生時代の思い出というのは、人それぞれでしょうが、同じくらいの年齢の大勢の他人と、何年かの限られた時間ではあるかもしれませんが、一緒に過ごすことで得られることも沢山あるのではないでしょうか。

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09:18:34 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
掃除が成績アップの秘訣!?
2006 / 12 / 19 ( Tue )
前回、受験生であろうとなかろうと、片付け、身の回りの整理整頓、家の手伝いなど、変わらずにやらせた方がいいと書きました。
今回は、その続きです。
少し前に、らくだ教材を開発した平井氏と片付けの話をした時に、ある人の言葉として、片付けは修行だということを聞き、また、歌舞伎町などを早朝掃除をして歩くグループを主催されていらっしゃる方をご紹介していただいたりして、掃除に関心を持ち出していたのでした。
家内が、とても忙しく外を駆け回っているので、家の中の掃除は中々行き届いていないのが現実で、わたしも掃除が大の苦手だったりして、散かっていました。
それが最近気になりだしたのは、先述したようなことからなのか、とにかく、最近、休みの日には、少しずつ家のあちこちを掃除し始めたのです。
そんな折、コンビニで、「そうじ力」云々という書籍を見つけ、ついつい買ってしまいました。
その本は、少し端折っていいますと、「そうじ」をすることで、自分と向き合い、謙虚にものを考えるようになり、結果、自分を変えていけるということが書いてあるのですが、その本でもそういうことは含んでいることと思いますが、家を綺麗にすることで、家庭が安定し、例えば、子どもがいる家庭では、子どもたちの気持ちも安定するのではないかと思ったのでした。
その本の中では、職場でも、自分の家でも自分の部屋でも、その状況(散かり具合、汚れ具合)は、その人の心を表すと書いてあります。
散かったり、汚れたりしているのをそのままにしているということは、「まあいいか」という気持ちでいるということで、それがいろいろなところに出てしまうということなのですね。
詳しいことは省略しますが、「窓われ理論」なども紹介されていて、家を片付けるということが、子どもの成績を上げる秘訣だったりするかもしれません。

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23:28:23 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
身の回りの整理整頓とお手伝い
2006 / 12 / 17 ( Sun )
受験も大詰めを迎え、焦りや不安を抱いていらっしゃる受験生、親御さんもいらっしゃると思います。
と言って、それに対する特効薬をご紹介するわけではありません。
ただ、受験に追われだして、それ以外のことは見逃してあげたり、代わりにやってあげたりということになってしまってはいないでしょうか。
しかし、身の回りの整理整頓や家の手伝いといったものは、変わらず本人にやらせることが大事だと思います。
大事なことは受験だけではないし、整理整頓、家の手伝いを限られた時間をやりくりして行うということは、集中力を高めたり、勉強の要領を考えるなどというよい効果もあるはずです。
整理整頓がきちんとされた環境自体が、気持ちよいものですし、やる気も高まると思います。
一流のスポーツ選手は、道具を大事にすると言います。自分のパフォーマンスを最大限に発揮してくれる道具に感謝する気持ちを込めて、手入れをするのだと思います。
勉強において言えば、鉛筆を大事に短くなるまで使うとか、机の上はいつもきれいにしておくとか、いろいろあると思います。
家の手伝いにしても、日々の生活というのはその家庭に受験生がいようといまいと変わらずにある訳で、それを家族が分担して行うことは当然のことと思います。
当然の事を当然に行う、ということが一番難しいことだったりしますが、そういうことを大切にすることが、受験の期間をただのつまらない時間にしないことに繋がるのではないかと思います。

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22:53:09 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
押し付けが、やる気を奪う
2006 / 12 / 16 ( Sat )
らくだ教材を開発した平井雷太氏の『公文式”プリント狂時代”の終り』の中で、公文の指導者をしていた女性の話を読んで、ドキッとしました。
この女性は、指導者をやっている間、自分の娘に家のことを任せ、同時に自分の生徒として、かなり押し付けの中で教材をやらせていたと言います。
長女は、中学の途中で段々公文をやらなくなっていき、それに伴い成績も落ちていったようです。
最後には公文をやめたいと言い出し、それも已むなしとした代わりに、自分が勉強を放棄したのだから、進学はどこでも良いという訳にはいかない、高校受験は都立1校のみと言い渡したのだそうです。
彼女としては、自分が指導者である手前、娘が公文から落ちこぼれる、有名校への進学を諦めるということでの葛藤があったようです。
長女は、学区の中でも最も学力レベルの低い学校に進学し、普通の学生生活を送っていたそうです。
しかし、高校3年になって大学進学を思い立つも、時期が遅く、担任からは、その学校からの実績もないし無理だろうと言われ、残念ながら1年間の浪人を経ながらも、志望校に進学したといいます。
わたしなどもそうですが、指導者をやっていると、どうしても結果を追いたくなる気持ちになりそうになる時があります。
子どもたちのやる気を育てる、その為には粘り強く彼らに付き合うことが必要と分かっていながら、知らず知らずに押し付けてしまっていることがあります。
この女性の話を読んで、改めて自分の指導を反省し、心して取り組まねばと思った次第です。

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10:02:52 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
責任の所在
2006 / 12 / 15 ( Fri )
あまり頭の中がまとまらないうちに書き始めていますので、話がどこへ行ってしまうかわからないのですが、教育基本法が改正されるに当たって、いじめや必修科目未履修問題など、教育の場面で起こるいろいろな問題について、責任の所在をはっきりさせる方向へ向かっていくような解説記事を目にしました。
必修科目未履修問題のように、ちゃんとやりなさい、と言えばすむような問題はどうでもいいのですが、いじめの問題のように、人間とはどういう生き物なのか、生きるとはどういうことか、他人と付き合うということはどういうことかなど、根源的な問題について、誰かのせいにすればすむ問題とは違う問題についてまで、責任の所在という簡単な言葉で済ましてしまおうというのはどうなのかと思わざるを得ません。
ある局面においては、教師が生徒をちょっとこずいたということが、生徒の両親に対する伝え方で教育委員会に話しが飛び、処分が下されるというような風潮の中で、教師の指導力を求めるのも無理があると思います。
もちろんこずかなければならない指導力というのがどういうものかということもあるでしょうし、そもそも学校という場に何を求めるのかということが明確でなければ、教師に望むことも変わってくるでしょうし、現代のように、自分の考えを好きなようにいえる状況では、望むこと自体が家庭によって違ってくるという、とても複雑な様相を呈していると思います。
ではどうしたらいいのかというと、やはり話し合うことだと思います。
各家庭と学校が、それぞれの考えをぶつけ合うことが必要です。
例えば、自分の子どもは殴ってでも勉強をさせてくれと言う親がいれば、その子については殴ってでもさせればいいし、うちの子はおだててくれと言われれば、そうすればいいのではないでしょうか。
少し極端になりましたが、そういう話を聴いた上で、学校的にはここまでしかできないとか、こういう考え方なので理解してもらいたいとかいうことを話して、お互いが歩み寄る努力をしたらいいのではないでしょうか。
最近は、子どもの言うことを一方的に信じ込む親も多いと聞きますので、親をどう教育するかということも、重要な問題かもしれません。

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22:40:58 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
家族の会話
2006 / 12 / 13 ( Wed )
「国語力養成」の回の時に、家庭でのきちんとした会話が、国語力をつけるのだということを、わたしが読んだ本の受け売りで、もちろんわたしもそう思うので紹介しました。
今回も読んだ本からの受け売りですが、著名な臨床心理学の先生の話によると、昔は、大家族で、子育てにおける親子の関係は、おじいちゃんやおばあちゃんが間に入ったりして、うまく行っていたケースも多々あったといいます。
しかし、核家族化した現代においては、間に入る人間がいません。
そうすると、当人同士がお互いを理解する努力が必要になってきます。
その時に必要なことが、お互いがきちんと話しをすることだといいます。
最近子どもたちが「微妙」という言葉をよく使うのですが、この微妙というのは、仲間同士では通じるのかも知れませんが、わたしにとっては、解釈の範囲が広すぎて相手の言いたいことを理解できないことがあります。
そういう時に、言っている意味が分からなければ、「微妙って言われても、いろいろな取り方ができるのだけれど、どういう意味かな?」と聞くというのは、やはりお互いに理解する上で必要なことだと思うのです。
相手からすれば、「分からないのかよ」とか「めんどくせーな」と思われるかもしれませんが、普段自分たちも頭ごなしに子どもたちに命令するのではなく、きちんと自分たちの考え方を伝える話し方をするということと合わせ、相手からも話しを引き出すという考え方が必要だと思います。
それが結果的に、国語力の養成になるということも言えると思うのです。

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21:40:53 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学位の乱発?
2006 / 12 / 11 ( Mon )
必修科目未履修問題のときにも書きましたが、改めて考えてみたいと思います。
わたしも一応大学を卒業して、学位を持っています。
けれども、わたしが卒業するに足る学業を修めたかといえば、日本の大学を卒業した多くの人もそうではないかと思うのですが、いささか心もとないと言わざるを得ません。
しかし、例えば、医学部を卒業しても、医師国家試験に合格しなければ医者にはなれません。
一方で、そのような試験に合格しなければなれない職業というのもそれ程多くはないので、そうすると、大学を卒業してもどれだけの学問を修めたのかというのは、大学の成績表はあるでしょうが、客観的に見るものはないということにはならないでしょうか。
実業の世界は、学があれば成り立つというものではないでしょうから、それはそれでいいのですが、大学というところが、学問を修めるところだとすれば、きちんと学問を修めた学生を卒業させているかというと、どんなものかと思います。
少し前に、某大学の卒業試験で大量の不合格者が出て、大学が特に追試を行うことで留年生を最小限に抑えたということがありましたが、大学の教授が真面目に試験を行えば、毎年どれくらいの留年生が発生することでしょう。
日本の大学生には、かなりの自由があり、それを謳歌したわたしとしては、そういう良さも認めたい気持ちはあるのですが、これからは、入ってくる学生の質に頼るばかりではなく、卒業生のレベルを上げる取り組みを大学側が考える時代になってきているのではないでしょうか。
同時に、これから大学への進学を考えている人たちも、どこの大学へ行くかばかりでなく、大学で何をするのかをはっきりさせて望むことが大切だと思います。

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22:57:35 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
自分で分かろうとすること
2006 / 12 / 10 ( Sun )
中学受験をするというO君の話。
ある日、某私立中学校の過去の入試問題集の算数をやった際、わからなかった問題があって、解説を見て「ああ、比を使うのか」と言って終わってしまったと、お父さんが嘆いていました。
実際、解説を見たO君がどのように理解したかはわかりませんが、次のようなことは言えると思います。
大事なことは、「ああ、そうか」と思った問題でも、実際に解けるかどうかとは別であるということです。
そこのところが、塾等で教わる際に気をつけなければならないところでもあります。
解説を見たり、教えてもらったりして分かったような気になっている状態と、自分で自在に解ける状態との間にはギャップがあります。
分かったような状態の時は、頭の中が、もやもやして今一すっきりしないような感じがしているはずです。
そういう状態のときは、脳がフル回転でその問題を理解しようと働いています。
そして、はっと気が付く瞬間が来る。
そのような繰り返しで、学力は上がっていくでしょう。
逆に、「ああ、そうか」で終わらせてしまえば、学力は上がりません。
問題を解くというのは、そういう意味があるので、出来る出来ないは、時期にもよりますが、それ程問題ではありません。
問題なのは、出来なかった問題にどう取り組むかです。
問題集の解説を見るにしろ、誰かに教わるにしろ、その後で本人が食い下がって、きちんと自分だけで解けるように、出来なかった問題をつぶしていく、そこが問題なのだと思います。

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15:42:57 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
G君、その後
2006 / 12 / 08 ( Fri )
G君は、塾の先生のアドバイスもあり、家で社会の勉強をすることに一旦はなりました。
G君のお父さんは、早速本屋に出向き、簡単な問題集を買い込み、残り2ヶ月のスケジュールを立て、G君に提案をしました。
G君は、わかったのかわかっていないのか、うやむやな返事をして、とりあえず1日だけは勉強したようです。
しかし、2日目からは勉強をしていません。
このブログで、度々、本人がやる気にならなければ、学力は付いていかないものだという話しをしていますが、こういうことなのです。
これはどういう学校へ行こうが、塾へ通おうが同じことです。
塾では、行って、話を聞いていれば、話しの何分の一かは覚えて帰ってくるでしょうから、見掛けは学力が上がったような気がするかもしれません。
また、人との出会いが人間を変えることもあるでしょうから、学校の先生、塾の講師、それぞれで出会う友達がとの出会いがやる気になるきっかけになるかもしれません。
そういうことをすべて否定するつもりはありませんが、やはり勉強は、自分で自分の頭を使ってやっていかなければ本当の意味で見につかないものだと思います。
それをとことん付き合って、時には叱咤激励をしながら、本人が気付くのを辛抱強く見守ることが大切だと思います。

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22:50:05 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
国語力養成
2006 / 12 / 07 ( Thu )
若干自分が読んだ本の受け売りのような気もしますが、少し述べてみます。
わたしは、最近、家庭での会話がとても大切なものだと思っています。
話は簡単で、家庭ではうっかりすると、単語だけで、もしかすると何も話をしないで一日が過ぎてしまう危険があります。
「ごはん食べなさい」「・・・(無言で食事をする)」、「おふろ入りなさい」「・・・(黙って入浴する)」という具合に。
もちろん、授業中はきちんとした言葉と話さないといけないと思いますが、友だちとはやはり内輪の言葉で済んでしまい、事によると、自分の考えをある程度論理的に相手に伝わるように、もしくは相手を説得するような話し方をする機会が、本当に限られていると思うのです。
これでは、受験の国語以前の問題です。
逆に言うと、国語力をつけるのならば、日頃から家庭で、いろいろなことを話すと言うことが大事だと思います。
その時に気をつけることは、単語で話さない、相手の話をよく聞く、話す際に自分の考えをまとめるように気をつける、といったことだと思います。
この中に、国語の大事な要素は網羅されていると思います。
発言している人の話しをよく聞くというのは、国語で言えば筆者の論旨を把握することになると思いますし、単語で話さない、自分の考えをまとめるということは、すなわち記述問題対策になるのではないでしょうか。
もちろん、わたしの言いたいことの主旨は、国語の受験対策ではなく、今の様に家庭での会話が減っていくと、相手の話がわからない、自分の考えを伝えられないというコミュニケーション能力の低下が懸念され、それは思いやりのない、自己中心的な人間を育ててしまうことにもなりかねないということです。
もし受験に関していうのであれば、後は、漢字や語句、若干の知識的なものを補ってやればいいのではないでしょうか。

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焦りは禁物
2006 / 12 / 06 ( Wed )
子どもと接していて、気をつけなければならないことは、焦ってもダメだということです。
子どもの成長は、特に精神面においては、一直線ではありません。
昨日守れた約束が、今日は守れなかったりします。
そうした時に、頭ごなしに叱りつけてしまったのでは、元の木阿弥です。
せっかく、本人が自分で何とかしようとし始めている訳ですから、見守ってあげることが大事です。
誰かの一言で、或いはある人に出会って、人生が変わる、などということがあるかもしれません。
でも、そんなことは滅多にあることではありませんし、わたしたちだって、正月の度に「一年の計は元旦にあり」とか言って、それを成就したことなんか長い人生のうちでもそれ程あるものではないと思います。
以前に書きましたように、本人に本心を聞けば、大抵は親が望むようなことが出来るようにになりたいと思っているものです。
しかし、それは一朝一夕に出来るようになるものではありません。
それでも、出来るようになりたいと思っていることを信じてあげられれば、時にハラハラしながら、時には口に出して文句を言ってしまうこともあるかもしれませんが、見守ってあげることは可能だと思うのです。
それこそ、自分たちだって、そう思ったからと言って、明日から本当に黙って見守ることなんて、多分出来ないのです。
だから、お互いに少しずつ成長していくつもりでやっていけばいいのだと思います。

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格付社会
2006 / 12 / 05 ( Tue )
自分が教室をやろうと思って、電車の車内吊り広告を見ていると、週刊誌(経済紙を含む)の記事に、受験関係の記事の多いことに驚かされます。
わたしが大学受験をする頃は、東大合格高校ランキングとか、主要な大学のやはり合格高校ランキングはあったと思いますが、今のように中学受験に関する記事があった記憶はありません。
わたし自身が、私立の4大へ進学したものの、中学のときに父親を亡くし、母から高校は都立一本にして、と言われ、高校を卒業するまで塾らしい塾へ通ったこともなく育ったので、関心自体がなかったということで、記事自体は昔から掲載されていたのでしょうか。
ともあれ、友人から現在の義務教育現場の(彼には小学生の娘さんと息子さんがいます)学力格差の話を聞いたとき、自分たちの頃はどうだっただろうと考えてみました。
すでに40年近く経っていますので、曖昧な部分も多いのですが、わたしたちの頃も国語も算数も低学年レベルで中学へ進んでしまっていた生徒はいたような気がします。
それで、わたしは、彼の言うことに対し、学力格差が広がったのではなくて、それをことさら問題視するようになったという違いがあるのではないかと思ったのです。
現代は、何でも格付をしたがる時代です。
食べ物でも、お店でも何でもランキングがつけられます。
そういう時代なので、子ども、学校にも格付が適用されてしまっているということなのではないでしょうか。
そして、その尺度が学力に偏重されているので、学力格差というものが目立ってしまっているということなのではないかと思うのです。
子どもの能力は、いわゆる学校で習う教科だけで評価されるべきものではないと思います。
週刊誌の格付記事に振り回されず、しっかりと子どもと向き合うことが大切だと思います。

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母の愛情
2006 / 12 / 04 ( Mon )
先日、駅でEちゃんにしばらくぶりに会いました。
わたしは、Eちゃんがお友達と一緒だったので、挨拶だけのつもりが、Eちゃんがわたしのところへやって来たので、少し話をしました。
Eちゃんは、学習塾と英語の教室、テニススクールに通っているのだそうです。
わたしは、Eちゃんと話しをしていて、Eちゃんの表情に少しさびしそうな、不安げな様子を感じました。
Eちゃんのお母さんは、とても聡明で頭の回転が速く、話をしていてもとても面白く楽しいし、お友達も多く、みんなから頼られている方です。
Eちゃんの教育にも熱心で、Eちゃんは私立の小学校に通っていますが、お母さん自信が頭がいいのでEちゃんが物足りなく感じるのか、Eちゃんの話を伺っている時にも、少しEちゃんに対して厳しすぎるような印象を受けることがあります。
実際の家庭での様子はわかりませんが、もし、話のとおりだとすると、Eちゃんは少しきついのではないかなとも思えます。
Eちゃんは、いつもお母さんから注意され、怒られてばかりいて、お母さんを怖いと思っているのかな、そんな風に感じました。
それが、わたしの目にはさびしそうに映ったのでしょう。
褒めておだてる教育というものも弊害がありますが、子どもを常に監視し、指摘、注意、叱るということを繰り返していると、子どもの自信ややる気を奪ってしまうという点でやはり気をつけなければなりません。

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最後は気持ち
2006 / 12 / 01 ( Fri )
小6のG君は、区立小学校に通っていますが、来春の中学入試を前に受験勉強の真っ只中です。
しかしこのG君、もう一つ乗り切れません。
自分が納得すればやるのですが、中々他人の話を聞きません。
といって、自分で何でもやるのかと言えば、遅刻や忘れ物も多く、ご両親の目から見ると、自覚が足りないように見えます。
成績は、理科は本人も自信があって、いい点を取りますが、社会を苦手としています。
もう残り2ヶ月ですが、その社会をどうしようとしているのか、本人の口が重いこともあって、周囲には全くわかりません。
と言って、先にも書きましたが、社会をもっと勉強したらと言われて素直に聞くような感じでもありません。
勉強でも習い事でもスポーツでも何でもそうですが、最後は本人のやる気です。
本人がやる気がないのに、いくら周りが騒いだところで、どうにもなりません。
ちょっとした読みかじりなのですが、ヒトは何かひらめいたときにドーパミンといわれる物質が脳の中に出て、快感を得るらしいのですが、その時の快感は、人から褒められたとか物をもらったとかいうときに感じるうれしい気持ちよりも深いものだといいます。
何かをひらめくということは、世紀の大発見から、算数の問題が解けるといったことまで、広い範囲があります。
そして、簡単な課題よりも難しい課題が解けた時の方がより大きな快感を得るようです。
とすると、やる気というのは、ただ出来ることをやっているのではなく、その時点では出来ない問題に取り組み、それを解決していく中で育まれるもののようです。

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