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子どもは親を選んで生まれてくる
2007 / 06 / 29 ( Fri )
「子どもは親を選んで生まれてくる」という言葉は、それが本のタイトルになってもいますし、教育学者のシュタイナーやスピリチュアルの江原さんも使われている言葉のようです。
私は、お世話になっているある方から教えていただきました。
その方のお話では、子どもというのは、「この人を(精神的に)成長させよう」と思った人のところに生まれてくるのだいうことです。
親は、子どもを育てるのだと思い込んでいて、関係を一方的に考えているところがありがちだと思います。
しかし考えてみれば、育児書をいくら読んでも、実際の子育てでは心配したり、悩んだりすることがなくなることはありません。
みんな、夫婦で相談したり、自分の親に教えを乞うたり、それぞれあちこちに頭をぶつけながら子育てをしているのではないでしょうか。
そういうことで、自分たちも成長したんだな、と思うことはないでしょうか。
自分の子どもには、どうしても思い入れが強くなりますから、「ああでなければならない」、とか「こうでなければダメだ」とか思って頭に血が上りがちですが、自分も子どもに育てられているのだと考えて、少し熱を冷ましてみることもいいのではないでしょうか。
前回、早見優さんのコラムを紹介しましたが、早見さんが子育てに無駄はないと言うのは、こういうことも含まれているのだと思います。
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子育てに無駄はない
2007 / 06 / 27 ( Wed )
5月29日の日経新聞の夕刊に、早見優さんのコラムが掲載されていた。
優さんの長女がまだ小さかった頃、朝のいろいろな用事の合間に公園でブランコに乗せようと思って連れて行ったが、お子さんはアリに関心を持ち、優さんが予定していた40分間、ずっとアリを見ていたということだ。
優さんは、自分が小さい頃から仕事をしていた関係で、スケジュールどおりに生活をすることが当たり前だったために、お子さんの「想定外」の行動には戸惑ったと言う。
しかし、お子さんと一緒にアリを観察しているうちに、アリの行動が面白いことに気付き、そのことは決して無駄ではなく、むしろ「いいことに目を向けさせてくれた」と感じたそうだ。
現代は、とても便利になった反面、自分の意に沿わないことに対して、寛容さが失われているように思う。
ましてや子どもと行動すれば、思いもしないことの連続かもしれない。
しかしそこで、目線を子どものところまで下ろして同じ景色を見るようにすれば、子どもが何を見、聞き、感じているのかがおぼろげながらわかるのではないだろうか。
そうすれば、親からすれば子どもに振り回されているように感じることがあっても、子どもは何かを学んでいることがわかるのではないだろうか。
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魚の食べ方
2007 / 06 / 25 ( Mon )
私の母は、魚を食べるのが上手な人でした。(まだ存命ですが)
焼き魚など、本当に骨と身をうまく取り分けて、食べ終わった後には骨しか残っていない、という具合でした。
私は、そのことを尊敬していて、魚を食べる時には、出来るだけ身を残さないように食べる努力をしていて、一緒に食事をした人、場合によってはお店の人からもお褒めに預かることもあります。
自分自身では、70点位のものなのだと思っていますが。
その母、以前に書きましたように、80を過ぎて、歩けなくなっていて、声もかなり弱くなっていますし、耳も遠くなってという状況なのですが、魚の食べ方はいまだ健在でした。
先日、一緒に食事をしたときに、鯵の開きだったと思いますが、見事に骨だけにしてしまっていました。
私は、そのことに母の元気を感じ、少し嬉しく思ったものです。
ところで、前回、牛丼店でスプーンを使って食事をしていた若者を見たという話をしましたが、わたし自身、箸の使い方は自慢できるほどのものではありませんが、見苦しくないようにしたいとは考えてきたような気がします。
魚も、食べ終わった後が骨だけがきれいに取り分けてあるのは、とても気持ちのいいものだと思います。
家族と、仲間と食事をすることは楽しいことですね。
その時に、周りの人が不快になるようなことはしないようにしたいものですし、出来れば、きれいな食べ方も身に付けたいものです。
ちなみに、干物など開いてある魚を焼く場合、皮のほうからよく焼いて、身の方を焼きすぎないことが骨と身を剥れやすくする焼き方だそうです。
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スプーンと箸
2007 / 06 / 23 ( Sat )
私のブログのアクセスの解析を見ていると、「はさみ」という検索ワードでアクセスされていらっしゃる方が多いような印象です。
そこで、ということではないのですが、最近、牛丼チェーン店でスプーンを使って食事をしている人を見かける事があります。
少し前のお年寄りの中には、洋食を食べに行って、「お箸はありますか」などと言って箸で食事をなさっていらしたりしたものです。
それが、現代では、若者が、もちろん箸を全く使えないということではないのでしょうが、「箸よりスプーン・フォークの方が楽だから」ということなのか、スプーンを使って食事をしています。
ことによると、箸を使う時でも、食べ物をきちんとつまむことが出来ず、刺し箸などして食べているのかもしれません。
まだ、箸を使って食事をしている方が圧倒的に多いのですが、私は『箸』を使ってきれいに食事している人を素晴らしいと感じますし、『箸』は素晴らしい日本の文化だと思っておりますので、はさみの使い方もいいのですが、お子様の箸の使い方にも関心を持っていただきたいと思っています。
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手書き原稿
2007 / 06 / 21 ( Thu )
6月14日付けの夕刊フジにの花田紀凱氏コラムに、原稿は手書きかキーボードかという話が出ていて、花田氏は、手書き派なのだと書かれていました。
その中では、作家の浅田次郎氏は一旦キーボードで原稿を書いたが、文章が荒くなる、という理由で、手書きに戻したというエピソードも紹介されていました。
一方、現早稲田大学大学院教授の野口悠紀雄氏は、パソコンの場合は、書き直しが自由なので、とにかくざっくり書いて、それを訂正して行くやり方が今様だと書かれていたと思います。
皆さんは、どうですか。
私は、ざっくり書いて直していくというやり方はともかく、手書きの時とキーボードで文章を書く場合には、書いた人間が違うのではないかというほど文章が違ってしまうということは感じてします。
その理由は、「慣れ」ということになるのかもしれませんが、やはり、手書きの時のアウトプットの思考回路と、キーボードを打つ時のアウトプットの思考回路は違うような気がします。
手書きの時は、思ったことをすっと文字に出来るのですが、キーボードに向かっている時は、文章を考えながらキーボードに入力する段取り(私はローマ字変換なので、1音入力するのに2タッチ必要になる)を脳の隅のほうで考えていて、それが文章を考える思考に干渉しているのではないかと考えています。
やはり慣れのせいかもしれませんが、キーボードの方が疲れるので、文章を端折ろうとする意識も働いているようにも思います。
最近は、このブログはキーボードに直接入力していますが、一時期は、手書きの下書きを作っていました。
でも、「慣れ」の問題だけではないような気がするんですけどね。
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大学の学位
2007 / 06 / 19 ( Tue )
先日、私の教室に、新しいスタイルの塾を展開しようとしている企業の営業の女性(Oさん)が見えました。
予め予約をされていたので、それ自体は問題ないのですが、プレゼンテーションの他にいろいろな話をしました。
Oさんは、高校を卒業して専門学校を経て何度か転職をして現在の企業に就職されたということでした。
そのOさん、就職してから何年かして、一念発起、某大学(私の母校)の通信制に入学、仕事を続けながら見事4年で卒業されたということです。
私は、何事かを学ぶスタイルというのは、人それぞれでいいと思いますし、一旦社会に出てから、学びたいという意欲を持って大学で学ぶというのは、素晴らしいことだと思いながらOさんの話を聞いていました。
Oさんは、話の中で、一人でPCに向かって勉強している時に、何度か挫折しそうになったと仰っていました。
先生や、クラスメートのいない中で勉強するというのは、確かに張り合いがないのでしょう。
Oさんの話を感心しながら聞いていて改めて思ったのは、自分のようにキャンパスに通って授業に出て、試験を受けて卒業するよりよほど大変なことだろうな、ということでした。
10数年前に、別の某大学で、ある教授が後期試験で確か20数人の落第を出したところ、その中に殆どだったか、半数以上だったかが4年生で、就職も決まっていて、その科目を落とすと卒業できない、従って就職もできないということですったもんだがあって、結局は追試を行って事なきを得たということがありました。
追試に向けて、どれ程の勉強が必要だったかわかりませんが、その程度のことでもらえる卒業証書にどれだけの価値があるのかと感じたものでした。
と言いつつ、私も似たようなことで卒業していますので、本来、他人のことを言えた義理ではないのですが。
しかし、現代は、実力主義の時代と言われていて、資格を持っていることが仕事をする上で有利だということで、資格試験の予備校や通信講座が流行っているようなので、それに比べると、日本の大学の学位というのは、随分とお粗末なもののように感じられます。
ただ、私は、同時に、学生時代だから出来ることも精一杯やって欲しいとも思っています。
要は、よく学び、よく遊べと言うことでしょうか。
それをお題目ではなく、ある程度身のあるものにしてもらいたいと思っています。
それが、以前にも書きましたが、特待生制度や必修科目未履修問題にも繋がっていくと思うのです。
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少しだけ他人のため
2007 / 06 / 17 ( Sun )
昨年秋に塾を始めて、軌道に乗るまでということで、学生時代にお世話になった運送屋さんでバイトをしました。
事務所の移転が主な仕事です。
机やキャビネットを移動するには、中に書類が入っていたのでは重くて運べませんから、そういうものはダンボールに入って机やロッカーの脇に置いてあります。PCなんかも机の上においてあるものですから同様です。
そうすると、机を出すためにはそうしたダンボールを先に出さなければなりません。
しかし、移転先では机やキャビネットより先にダンボールを搬入してしまうと机やキャビネットを置く場所がなくなってしまいます。
ということで、ダンボールに入った荷物は、避けておいて先に机・キャビネットを設置するのが手順になります。
ただ、建物の状況や荷物の量など、様々な原因で流れがスムーズに行かないことはあります。
搬入作業で言えば、トラックから下ろす係、そこからエレベータまで運ぶ係、エレベータ係、エレベータから設置場所まで運ぶ係、実際に設置する係に分かれてやっていますので、皆が同じペースで仕事が運べばいい流れで進んでいくのですが、どうしても流れが淀む所が出てきます。
そうすると、人の配置を換えたりしますが、ある種、そういうこともあると達観してしまうことが必要な場合もあります。
こういう仕事のように、流れ作業の場合は、自分のペースだけを考えていても、それこそ流れを淀ませてしまいますし、かと言って、余り自分の持ち場から遠い部所のやり方にいらいらしても仕方がありません。
また、正論を持ち出して、段取りにけちをつけたところで、あまり杓子定規に考えるよりはやりながら調整をしていった方が、結果的には効率的だったりすることも多いのです。
とすると、あまり大風呂敷を広げるのではなく、自分の前後の人が仕事をしやすいように、ほんの少し気を使って仕事をするという考え方が繋がっていくことが、実は仕事をスムースに進める秘訣のように感じるのです。
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園芸療法(続き)
2007 / 06 / 15 ( Fri )
昨日、某デパートの園芸売り場に行ってみました。
少し年配の店員さんに相談を持ちかけたのですが、私が園芸療法のことを最初から話をしていけば話は違ったのかもしれませんが、話のもって行き方が良くなかったようで、うまく話が進みませんでした。
その店員の方には、花を育てることを甘く見ているように感じられたようでした。
その方は、売り物とは言え、その売り場の花をとても大切にされていらっしゃるようでした。
その後、ぶらっとしていたら、金魚売場に行き当たり、金魚でもいいかなと思い、こちらでも店員さんに話しかけてみました。
こちらの店員さんは、お客様がどう楽しむかはお客様の問題と思っていらっしゃったのか、割と簡単に話は進みました。
ところが、丁度いいサイズの水槽が売り切れていて、入荷したら連絡をもらうことにして帰ってきました。
ところがところが、ここでまたどんでん返し。
実際に母と暮らしている弟から待ったが掛かってしまいました。
こちらも園芸品売り場の方と同様、私の根回しが足らなかった、というかなかったので、今のままでもいろいろ大変なのに、この上生き物の世話は勘弁してくれ、ということのようでした。
また、私に対しては、お前は母の面倒を自分が見ている訳ではないのだから、そんなことで母を喜ばせようとするならば、先に母の面倒を見ろ、ということなのでしょう。
私は、やってしまって母の様子にいい変化が起きれば、それでいいと思っていただけなので、大した説明もしていなかったのですが、弟がこういう話に乗って来ないだろうと思って、結果往来で行ってしまおうと思ったのが、失敗に終わってしまいました。
今度は、弟が話に乗ってきそうな時を見計らって、きちんと最初から話をして、話を進めたいと思います。
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脱臭・消臭・除菌
2007 / 06 / 13 ( Wed )
私の知り合いは、化学薬品の商社に勤めています。
その関係で、消臭剤や洗剤を製造しているメーカーとの取引があるようですが、それでも昨今の脱臭・消臭・除菌を大々的に謳うTVコマーシャルには疑問を感じるようです。
例えばトイレの臭いですが、「トイレってそんなに嫌な臭い?」と彼は私に聞きます。
私は彼の言わんとすることが何となくわかる反面、同時に、企業が他社製ヒントの差別化のために努力をしているのもわかるので、曖昧な返事を返します。
もちろん、彼もわかって言っているのでしょうが。
私の母は、83歳で現在立って歩くことが出来ません。トイレへは這って行きますが、間に合わないことも多いのでしょう、家の中は、いくらか小便臭いような気がします。
ただ、私の知り合いのように、例えば、そういうことに無頓着でいては家の中はどんどん汚れていくことになるでしょうから、掃除をしたり、汚れたものはすぐに洗濯をするなどをしてある程度清潔を保つようにしたほうがいいとは思います。
そして、臭いというのは、そういうためにあると言うことも出来るのではないでしょうか。
逆に排泄物の臭いが、食べ物と一緒であったとしたら、別の問題が出てくるはずです。
臭いがあるから気が付くこともある訳で、それを闇雲に消したり、目立たなくすればいいというものでもないのもまた真実でしょう。
雑菌に対する抵抗力をつけるには、ある程度雑菌の中で過ごすことも必要であると思われ、また、菌の中には役に立つ菌も沢山いるわけだし、地球上を完璧に殺菌することが出来ない以上、除菌についても脱臭・消臭同様、余り神経質になり過ぎない方がいいのではないかと思います。
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園芸療法
2007 / 06 / 11 ( Mon )
グロッセ世津子さんいとう方が書かれた『園芸療法のこころ』という本を読みました。
私には、83才の母が弟と暮らしています。
私も最近、近所に引っ越してきたので夕食等一緒に過ごす時間も多いのですが。
グロッセさんは、通常、病気になったり、障害を持ったり、歳をとったり問題を抱えた人たちについては、その状況だけを取り出して改善するように扱われることが多いが、元気になるためには生きる意欲が不可欠だと言います。
そして、生きる意欲は援助や介護を「受ける一方」の状況からは生まれて来ず、自ら「与えた」結果として「受ける」ことによって生まれて来ると言います。
グロッセさんは、園芸を通してそういう体験をしてもらう中で、生きる意欲を喚起し、立ち直ったり、改善したりしていく手助けをされていらっしゃいます。
そこで私の母ですが、現在歩くことがままならず、従って家にいるしかありません。
週2回、デイケア・センターに行ってはいますが、やはり、気持の張りというものはないだろうなと思っていました。
そんな時に見つけたのが、この本でした。
母に「花を育ててみたいか」聞いてみると、嬉しそうに「したい」と返事がありました。
それで、取り敢えず園芸の本を買ってみました。
近い内に、母と一緒に花を育ててみたいと思います。
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ドラフト
2007 / 06 / 09 ( Sat )
専門家ではないので、詳細なところはわからないと言ってしまっては無責任になるのでしょうか。
私は、中学生の頃からアメフトが好きだったので、かなり以前から思っていたことです。
大分古い話ですが、法政大学の江川卓投手がドラフトで希望球団に指名されず、1年の浪人を経て2度目のドラフトという日の前日、「空白の1日」をついて読売ジャイアンツと電撃契約をする。
翌日のドラフトで阪神タイガースから指名を受けるが、ジャイアンツとの契約を盾に取り、タイガースとの契約を拒否、結局当時のコミッショナーが間に入って、ジャイアンツは小林繁投手をタイガースにトレードに出して江川投手を獲得した。
私は、この経過を見ながら歯がゆい思いをしたものです。
私は、当時セ・リーグの別の球団を贔屓にしていましたが、ジャイアンツ以外の球団を応援してみると、野球界全体がジャイアンツの都合のいい仕組みになっているような気がしたものです。
アメリカのプロフットボール・リーグNFLには、ドラフト権がトレードできるというルールがあります。
また、指名順は完全ウェーバー制になっていて、もちろん複数球団による指名くじ引きなどというルールはありません。
ですから、どこの球団もシーズンが終わった時点で自分たちが、何番目に指名できるかわかっています。
その上で、選手や関係者、その当時からエージェントがいたかはわかりませんが、いずれにしろ取りたい選手に自チームへの入団の意思がないことがわかっていれば、その選手が入団を希望するチームの同じポジションの選手とドラフト指名件を予めトレードしておくということが行われるのでした。
日本のプロ野球にこの制度が導入されれば、今起こっている問題のかなりの部分が解決されると思うのですが。
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卒業認定試験
2007 / 06 / 07 ( Thu )
昨日の続きですが、入り口を広くする代わりに、卒業に値する学力を身に付けているか、判定する試験を設置するのはどうかと思います。
現状でも、形の上では中間、期末の定期試験が行われてはいますが、形骸化しているのではないでしょうか。
スポーツ選手が、インタビューに答え、勉強はしなかったと答えているのを見聞されている方は多いと思います。
スポーツ選手は、自らのスポーツの才能で身を立てていらっしゃるのは立派なことだと思いますが、学生でいる間は、必要な勉強はしなければならないのだと思います。
そういう訳で、高校の卒業に関しては、文科省が管理する全国統一の卒業認定試験(旧大検が現在高卒認定と呼ばれているが、それではない。)で合格しない場合は、卒業と私文書等に書けないことにしたらいいと思います。
学校の人気を上げるために、特待生制度を設けたり、留学生を受け入れて、クラブを強くするのもいいと思いますが、卒業するにふさわしい学力はつけて卒業していただければ、これ程までの問題にはならなかったのではないかと思っています。
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特待生問題
2007 / 06 / 05 ( Tue )
先の未履修問題の時にも同じようなことを書きましたが、今回の特待生問題についても、一言書かせていただきます。
というのは、スポーツで特待生になることがどうとかこうとか言うのではなくて、卒業する時点で、高校なら高校の単位を大学なら大学の単位をきちんと履修しているのかと言うことです。
つまり、卒業するにふさわしい学力を身に付けたのかということが問題ではないかと思います。
そういうと、確かに自分もそうですが、「いや自分も」とか、「本当は私も」とかいう具合に、言葉は悪いですがいい加減に学校を卒業している人は多いはずです。
過去のことは過去だから、と言うのは都合のいい言い方かもしれません。
けれども、それは置いておいて書かせていただきますが、日本も、そろそろ入り口(入り方)ばかりを問題にするのではなく、どういう成績で卒業したかというような、出口を問題にするようにしてはどうでしょうか。
会社でもそうではないでしょうか。
仕事が出来る人が必ずしもいい大学を出ているとは限らないのではないでしょうか。
例えば、特待生で入学した学生が、卒業する時点で総代を務めるほどの学業を修めたとしたら、誰か問題にする人がいるでしょうか。
私は、その辺が問題なのではないかと思います。

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守備範囲
2007 / 06 / 03 ( Sun )
前回のブログで、親は教育を人任せにするのではなく、例えば、学校の先生、塾の講師と連携を取って見守っていくべきだと書きました。
と言うのは、近頃の風潮が、どうも責任の押し付け合いになってきているような気がしたからです。
最近、責任の所在とか、問題点は何処かというように、何か問題が起こった時に、結論を急ぐ傾向があるようです。
それに伴い、そこに携わる方々が、自分が責任を負わないように、自分のテリトリーを決めて、そのテリトリーを越えた問題には関わらないようにしているようです。
電化製品などでも、どういう使い方をしたらダメだとか、こと細かく書いてあります。
確かにいろいろな問題が起こるのでしょうが、常識の範囲で、とかいう物言いは通用しないのでしょうか。
つまり、こう言っておかなければ何かあった時に責任がこちらに及ぶとかいうような、自分の護身にばかり走っているように思うのです。
しかし、物事には、野球で言うテキサスヒット(日本特有の言い方らしいですが)のように、みんながきちんと守っていてもヒットになってしまう打球はあるのです。
私は、そういう時に自分はどうしていたとか、それは誰か他の人の責任だと言っていても始まらないのではないかと思うのです。
そういう意味で、親も先生も講師もそれぞれ自分の守備範囲を勝手に決めて、その間に落ちた打球について責任を押し付けあうのではなく、お互いに守備範囲が少し重なるくらいの気持を持って子どもを見守ってあげたらどうかと言うことをいいたかったのでした。

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塾説明会
2007 / 06 / 01 ( Fri )
営業に使ってしまいますが、6月11,12,14,15日に塾説明会を行います。
この期間に起こしになりますと、無料体験が2週間受けられます。
是非、この機会に、らくだメソッドをお試し下さい。

テーマ: - ジャンル:学校・教育

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6月4日
2007 / 06 / 01 ( Fri )
大変恐縮ではありますが、急用が出来ましたので、開塾時間を18時とさせていただきます。
ご用の方は、申し訳ありませんが、18時以降にご連絡いただければ幸いです。
23:34:51 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
勉強するってどういうこと?
2007 / 06 / 01 ( Fri )
今回も、友人との会話からの話です。
友人の娘さんの相談に乗っていて思ったことなのですが、どうもご父母の方々が考えている勉強というのは、学校でいい点をとるとか、結果いい学校に入るとかいうことを考えていらっしゃる場合が多いようです。
つまり、問題を解く、○とか×をもらってくる、そういうことを勉強と考えられているのではないでしょうか。
しかし、そう考えておられるご父母の方々も、自分が社会に出て仕事をなさる、いろいろな地域の活動をなさるといった時に、必ずしも○や×が付くことばかりではないと思います。
また、その中で新たに気付いたり、学んだりすることも多いと思います。
つまり、人が学ぶということは、必ずしも学校などの決まった場所で、先生とか教授とかいった人たちから一方的に教えられるといったことばかりではないと思うのです。
例えば、学校で習う社会という科目ですが、これは、社会の仕組みを学び、自分が社会で暮らしていく中で、平和を思う、国民としての義務を果たす、などいろいろな場面で何が良くて何が良くないことなのかを考えるベースを作るものだと思います。
何が良くて何が良くないかということは、いろいろな人の利害関係、立場、など現在起こっている問題は複雑に絡み合っています。
そういう問題を正しく理解するためには、それなりの知識が必要です。ですから、憶えなければならないことはあるにはありますが、大事なことは、自分が得た知識なり経験なりをどう組み合わせて今起こっている様々なことを理解するかだと思います。
話は戻りますが、確かに知識は必要なのでテスト等で定着の度合いを確認することはあるでしょうが、大切なのは、得た知識を如何に生きたものとして使えるかということなのだと思います。

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