スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- )
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--:-- | スポンサー広告 | page top↑
イチロー選手、日米通算3000本安打達成
2008 / 07 / 31 ( Thu )
今日は昨日の予告内容を変更して、イチロー選手の3000本安打達成についてお話ししてみたいと思います。
私は、イチロー選手ご本人のコメントではありませんが、3000本安打ということを「通過点」として考えていたので、特にそのことについて何かを書くつもりはありませんでした。
しかし、昨日、3000本安打達成ということでテレビのニュースなどに何度も取り上げられていると、その中のコメントに「なるほど」と思うことも多かったので、少し考えてみようと思ったのでした。
次のコメントは、3000本安打を達成してのイチロー選手のコメントで、今朝、いくつかのサイトから引用したものですが、最後の2つは昨日の報道を見ていて私の記憶に残ったものです。
「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところにたどりつくただ一つの道」「3000本は通過点でしかない」「いろいろな壁は僕にとって大変な障害だが、こういうものと戦えることを喜びとして、これからもやっていきたい。」「日本で積み上げてきたヒットと凡打それぞれが僕の技術を磨いてくれた。」「壁を作るのは自分」「バッターボックスで自分ほど雑念の多いバッターはいないのではないか」
これらイチロー選手のコメントに、らくだを続けることの意義に通じるものを私は感じたのでした。
その中に「壁を作るのは自分」というのがありますが、私が受けた印象では、自分の気持の持ち方(例えばプレッシャーを感じて、記録がなかなか達成できないというような)が壁になるというのとは少しニュアンスが違うように感じました。
私が感じたのは、小さいことを積み重ねていると、例えば3000本安打だとか、シーズン200本安打何年連続だとかいう節目のようなものが向こうから勝手にやってくるものなのだ、ということです。
らくだで言えば、毎日プリントを学習していると、自然に自分の学年を超えた、まだ学校で教わっていない教材を学ぶことになります。
そうなると、自分で解法を見つけ出さなければなりますから、教わったところを学習していたときのようには行かなくなります。
これが壁です。
ああでもない、こうでもないと試行錯誤をしながら進んでいく。
こういう壁を越えることを「喜び」と感じられるかどうかが、天才と凡人の分かれ目でしょうか。
しかし、イチロー選手も言っているように、「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところにたどりつくただ一つの道」と信じて、毎日コツコツ努力するということが、まずは第一歩となるのではないでしょうか。
近頃は、何かにつけてhow toがもてはやされ、子どもが育つ環境の中でも自分で考えて解決するということが回避されるようになっているように感じます。
やわらかいものばかりを食べていて、顎の発達が十分でなく、かたいものをよく噛んで味わうということができなくなっているようにです。
私は、多くの子どもたちに、「壁を越える喜び」を体験してもらいたいと思っています。
スポンサーサイト
12:59:11 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
同じことをするということ
2008 / 07 / 30 ( Wed )
昨日、また、テレビで茂木健一郎氏をお見かけしてしまいました。
茂木さん、売れてますね。
そこでまた、同じことをすることの効用について話されていました。
シアトル・マリナーズのイチロー選手が、打席に入る前、打席に入ってからピッチャーの投球を待つまでの所作、昼食には必ずカレーを食べることなど、毎回、毎日決まってすることです。
無意識をコントロールするには、こうした同じことをする以外にないというようなお話でした。
今回、もう一度、この問題を考えてみたいと思います。
同じこと、茂木さんにとっての毎日必ずすることというのは、ブログを書くことだそうです。
しかし、番組の中での会話ですので少し検討が足りなかったようで、この話には若干の混同があると私は思います。
つまり、イチロー選手がやっていることは、試合の中で、回ってきた打席においてヒットを打つために、自分が一番集中した状態になるためにやっていることであって、茂木さんがブログを書くことは、それ自体が茂木さんにとってある種、仕事のようなもの、本人はブログを書くことに際し、前日にあったことを思い出し、そこに意味を見出すことが脳を鍛えることなのだというようなことをおっしゃっていましたが、いずれにしてもそれ自体が目的になっています。
そういう意味で、少し主旨が外れているような気がしたのですが、それはそれでおいておきましょう。
さて、イチロー選手がやっていることがどうして無意識をコントロールすることになるのか。
イチロー選手にとって不必要な無意識とは何でしょうか。
それは、この打席ではヒットを打てるのかとか、今日は体調が悪いなとか、もしかしたら前の晩に弓子夫人としてしまった夫婦喧嘩のこととかでしょうか。
例えばお父さんが手術をしたとかいうことがあったとすれば、そういうことも試合で最高のパフォーマンスをするための精神状態としては妨げになる要因でしょう。
そこで、例えば同じ時間に起き、決まった時間に散歩をし、いつもと同じカレーを食べる。
同じ時間に家を出て、同じルートを車を運転して球場に入る。
いつもと同じように着替えをして、同じウォーミング・アップをして試合の準備をする。
イチロー選手がこのとおりのことをしているかどうかはわかりませんが、このような一連の決まったステップを踏む過程で、少しずつモードがチェンジしていくのだと思います。
これらがある程度身についてきて、これをしたらこれをして、その後にはあれをしてということが当たり前のように、あれこれ考えずにこなせるようになると、気がついたら試合の準備が終わっている、というような感じなのだと思います。
言ってみれば、余計な思考を追い出すためにやっているということになると思います。
もちろんヒットを打てない日が続けば、試合の後には家に帰ってからも気になることはあると思います。
しかし、朝起きたら、また同じことを同じように繰り返す毎日が始まります。
そうすることで、前の晩にわだかまっていたものを追い出すのだと思います。
もしかしたら、寝る前にも決まった所作があって、眠りにつく時にはもうリセットしてしまっているのかもしれません。
もぎさんがおっしゃる同じことをするということの効用は、こういうことだと私は考えています。
次回は、例えば、毎日らくだをやるためにどういう応用があるのかというようなことについて考えてみたいと思います。
12:04:11 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高校野球、北神奈川大会決勝
2008 / 07 / 29 ( Tue )
高校野球、夏の甲子園の地方大会、北神奈川大会の決勝戦はすごい試合でした。
東海大相模高校の大城投手は、最後まで投げ切ることはできませんでしたが、よく投げました。
試合途中、5回か6回くらいでしたか、解説の方が、大城投手の軸足の調子がおかしいようだと話され、その回あたりからボールが先行し出し、ノーアウトからランナーを背負う展開となってきました。
私は、足の具合も心配でしたし、玉数も100球を超えるようになってきて、ピッチャーの換え時に関心を持って見ていました。
しかし、東海大相模高の監督は動きませんでした。
私は、勝っても負けてもエースの大城投手と心中という腹なのかと思いました。
であればなおさら、投げ過ぎということが私は心配になってきました。
東海大相模高ともなれば選手層も相当に厚いはずで、控えのピッチャーとは言え、他の学校であればエース級ということも考えられ、大城投手の身体に過度な負担がかかっていなければいいと思いました。
大城投手は9回に同点に追いつかれ、延長戦に入っても豪腕を奮い、190球を投げ抜いてマウンドを熊谷投手に譲ったのでした。
結局、熊谷投手から遊撃手で主将の大田選手がマウンドに上がり、大田投手が決勝打を打たれ、東海大相模高は3年連続で地区大会決勝で涙を飲んだのでした。
先にも書きましたが、東海大相模高ともなれば控えの層も厚いはずで、野手がマウンドに上がるとは思いもよらなかったことで、大城投手を私の私見的には引っ張り過ぎと感じていたこともあり、私の頭の中はますます?だらけとなりました。
ただ、素人の私なりに、最後はエースの大城投手で決めたいという気持ち、そしてそれは監督ばかりではなく部員の気持ちだったのかということと、正直、勝つにしろ負けるにしろ(もちろん勝つつもりでやっているはずですが)、すっきりけりがつくと思っていた、自信があったということなのではないかと思ったのでした。
それが継投の遅れ(と言い切ってしまいますが)に繋がったのではないか。
そして、大田投手、終盤の好機に何回か打順が回ってきましたが敬遠されて、中盤にホームランを打ってはいましたが、無念な気持ちがあっただろう、そういうことから登板になったのかと考えたりしました。
後で調べてみると、大城投手は、予選の全試合に先発したわけではないこと、登板しなかった試合もあったこと、登板してもチームがコールド勝ちをしたためにそれ程多くの球数を投げてはいなかったらしいことなどから、この試合は玉数が多かったものの、大会を通じてひとりで投げぬいたというのとはダメージが違うだろうということで少し安堵したのでした。
しかし、一方で大会を通して登板がなかった大田選手が、どうしてあの場面での登板となったのか、やはり疑問は残ったのでした。
私が見た新聞等には、東海大相模高の監督のインタビュー記事がなかったものですから。
ともあれ、東海大相模高の今年の夏は終わりました。
お互いに力いっぱいプレーをした両校の選手に拍手を送りたいと思います。
10:15:48 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高校野球
2008 / 07 / 28 ( Mon )
昨日は、高校野球の東東京大会の決勝を見に行くつもりでした。
ところが、忘れ物をして家に帰り、すぐに出ればよかったのですが、午前中のジョギングで疲れて腰を下ろしてしまったら、根が張ってしまって結局テレビ観戦になりました。
北神奈川大会の決勝とチャンネルを回しながら見ていました。
というか、北神奈川大会の展開に轢かれて、そちらの方を主に見てしまったという感じでしょうか。
本当にすごい試合でした。
東海大相模の方のピッチャーの頑張りには脱帽でした。
私がたまに食事に行く店のマスターが、「高校野球は、地方大会のほうが面白い」とおっしゃっていましたが、私も昨年からテレビで地方予選を見るようになって、同感だなと思います。
来年は、予選の1回戦、2回戦あたりの試合を見に行ってみたいと思っています。
10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「わかった気」になる
2008 / 07 / 27 ( Sun )
タイトルの『「わかった気」になる』ということが、意外に曲者です。
というのは、「学力の7・5・3」という言葉があるそうで、意味は、小学生の3割、中学生の5割、高校生の7割の生徒が、授業の内容がわからないと言っているというのです。
授業をまったく聞いていない生徒は論外として、その他の生徒の中に授業についていけない子が出てくるというのは、授業を聞いて「わかった気」になっているけれど、十分には身についていないというレベルの子がかなりいるということではないかと思います。
本人が「わかった気」になっているので、危機感がありませんし、まだそのレベルであれば、まったくわからないというところまでいっていないので、それ程困るほどでもなく授業は進んでいきます。
そして、「少しやればできるようになるだろう」とのんきに構えているうちに、遅れが大きくなってしまって、それでもいつから遅れてしまったのかわからないようなことが起きてしまいます。
なので、ここのところ2回ほど、脳科学者の茂木健一郎氏の『「アハ」体験』を題材にさせていただきましたが、答えを見てもわかればいいということを気楽に考えて、答えを見て「わかった気」になったところで済ましてしまうと、学習を進めていっても少しも実力がついていなかったという落ちになりかねません。
「らくだメソッド」で言えば、間違えなおしの部分です。
ここをしっかりやること、すなわち、次に同じような問題が出てきた時にきちんと大事なところに気付くように学習を進めていかないと、1回目のプリントの時にミスだらけ、2回目以降はミスを減らせてプリントは進むのだけれど、テストの時にケアレス・ミスを連発ということになりかねません。
そういう「わかった気」予備軍の子たちの力にもなれればと思っています。
10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「アハ」体験2
2008 / 07 / 26 ( Sat )
前回の続きです。
茂木氏は、問題の答えがわからないとき、答えを見ても、それで分かれば十分脳のトレーニングにはなるのだといいます。
答えを見ずに正解が得られればそれに越したことはないでしょうが、答えを見ても、それで「アハ」という感覚、つまり「わかった」という感覚があればいいのだということです。
そこで私は思うのですが、わからない問題を解こうとしている時の脳の働きを10とすると、答えを見て、その理由なりを考えている時が7、誰かから教えてもらって理解をしようとしている時の脳の働きが3くらいと言っていいのではないかと、まったくの当てずっぽうですが、考えています。
もちろん根拠はありません。
私の感覚です。
それともうひとつ、答えを見て、理解するという場合、気をつけなければならないのは、「わかった気」にならないことだと思います。
前回、「脳に汗を書く」という言葉をある本で読んだと紹介しましたが、私が脳の働きを数字で表してみたのは、どういう時に「脳は汗をかくのか」ということを考えてみたかったからです。
教えてもらう時に、それ程脳を使わないだろうと私が思うのは、説明を聞いて「わかった気になる」ことが往々にしてあると思うからです。
というのは、少々哲学的になりそうなのでざっくり端折りますが、人が何かを理解する過程というのは、階段を上るようなもので、わかりやすくするために段の高さを低くすることはある程度できても、絶対にスロープにはならないということです。
つまり、わかろうとする時には、この段を上るという努力が必ず必要だということです。
スロープであれば、その勾配が急でなければ、転がってでも何とか上ることが可能です。
理屈を言えば、段もそれなりに低ければ、転がって上ることもできるのですが、要するに、「わかる」という行為には、大なり小なり超えなければならないステップが存在するということを言いたいわけです。
という訳で、話は横道にそれているのですが、教えてもらえば「わかる」というものではないということを一応確認しておきたかったということです。
それで本題に戻りますが、答えを見ずに考えている時から、答えを見て考える、教えてもらうことの順に階段の段が低くなっていると考えていいと思いますので、その段の高さに応じて「ひらめき」の度合いも下がる、「脳力」の飛躍度も下がるという風に考えていいのではないかと思うのです。
10:35:55 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
野球
2008 / 07 / 24 ( Thu )
私の子どもの頃の人気スポーツといえば、圧倒的に野球の時代でした。
私もご多分に漏れず、野球少年だったといっていいと思います。
最初はジャイアンツのファンでしたが、後に従兄の影響で現横浜ベイスターズ(当時は大洋ホエールズ)を応援していました。
それが、興味はサッカーに移り、アメフトに転向して徐々に野球からは関心が薄れていきました。
昨年の今頃にも書いたと思いますが、今、UHFのいくつかの局を見られる環境にあると、夏の甲子園の地方大会が視聴できたりします。
たまたま見てみたら、月並みですが、地方予選などではあまり強くないチームの試合だったりして、それこそコールド・ゲームもあったりするわけですが、高校生がこの大会のために苦しい練習に耐え、今ここで一所懸命試合をしているのだと思うと結構感動しながら見てしまったりしたのでした。
そんなことで、なかなか1試合丸々見ているわけにも行かないのですが、用事をしながらちらちら見ています。
片やプロ野球、今年はなかなか面白い展開になっているようです。
数年前から始まったセパ交流戦や、クライマックス・シリーズといわれるプレイ・オフが今のプロ野球を面白くしているのではないかと思います。
特にパ・リーグは、毎年のように優勝チーム(日本シリーズ出場チーム)が変わり、今年は1位から6位までのゲーム差が10以内で混戦模様、現在少し失速気味で最下位の楽天イーグルスでもクライマックス・シリーズ出場の可能性が十分あるという状況で、なかなか目が離せない状況にあります。
クライマックス・シリーズについては、賛否両論あるようですが、今年はリーグ戦上位チームにアドバンテージが設けられたようで、いろいろと工夫がなされているようです。
パ・リーグは、観客動員数も増えているようで、いいことだなと思っています。
先週の土曜日だったか、ヤクルト・スワローズと広島カープの試合をテレビでチラッと見ましたが、ざっと2、3万位の観客が入っていたようで、あまり人気のあるチームではないという認識の2チームの試合にたくさんのお客さんが来られているというのは、やはり3連休の初日ということもあったかもしれませんが、まだ両チームともクライマックス・シリーズ出場の可能性を残していることの影響も大きいのではないかと思ったのでした。
以前から大学野球は、ちょくちょく見に行っていたのですが、たまにはプロ野球を見に球場に足を運んでみるのもいいかなと思ったりする最近なのでした。
高校野球の東京予選も、見に行ってみようかと思いつつ、今年はチャンスを逃してしまいましたが、いずれ行ってみたいと思っています。
10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「アハ」体験
2008 / 07 / 23 ( Wed )
先日、脳科学者の茂木健一郎氏が出演されているバラエティー番組を見ていたら、氏が勉強は、五感をフルに使うことが大切だということをおっしゃっていました。
私も大学受験に当たっては、英単語を覚えるのに、新聞紙にボールペンを何本もつぶすくらい書きまくった記憶があります。
書いて、声に出すということは、同時に目で見て耳で聞くという複数の感覚を同時に使うということで、非常に理にかなった勉強法なのだそうです。
こういう自分の感覚を使うということはとても大事なことだと思います。
というのは、学校で先生がていねいに教えてくれているのに、勉強が遅れていくということの理由には、先生の話を聞いていないという場合は論外として、先生の話を聞いて「わかった気」になっているだけという場合が多いのではないかと思うのです。
中学受験に関する本に、「自分の脳に汗を書く」ことが大切なことだと呼んだ記憶がありますが、このことは、まさに、ただ先生の話を聞いているだけではダメで、自分で手を動かして問題を解いてみることの大切さを言っているのだと思います。
教科書を何度か読んで覚えた気になっていても、実際に試験で書こうと思ったときに字を間違えたり、記憶が曖昧で似たような違う言葉を答えてしまったりということはあると思います。
効率ばかりを求めたがる風潮ですが、「自分の脳に汗をかく」ような面倒なことをコツコツやる方が結果的には効率的であるということがあるような気がします。
11:51:21 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
英検
2008 / 07 / 23 ( Wed )
生徒の一人が、英検を受けるのだと参考書を持っていました。
それに少し心が惹かれるものがあって、自分でも英検の参考書を購入してみました。
一応2級の参考書を購入、早速過去問にトライしてみました。
筆記試験の問題は8割方正解、リスニングは少し正答率が落ちましたが筆記試験の正答率と併せると、どうやら1次試験は通りそうな感じです。
そうなると、2次試験が問題になります。
過去に同じ2級を受けて、2次試験で落ちた過去があるので、面接はトラウマになっています。
前回は確か大学生の頃受験したのではないかと思います。
というのは自分が同好会でアメフトをやっている話をして、体育会と同好会の違いを説明しようとしてドツボにはまった記憶があるのです。
自分がどの程度の実力にあるかもわからずトライしてみた筆記問題に割とあっけなく目処がついてしまったので、これからはリスニングと表現することに重点を置いて勉強していきたいと思います。
思い起こせば、今年に入る頃に思い立って、らくだの英語教材で英語の勉強は始めていました。
文法はらくだ、単語はクロスワードパズル、リスニングは以前に購入して持っていた『からだを揺さぶる英語入門』を聞くこと、長文読解はデイリーヨミウリのインターネットサイトのトップ記事を音読すると決めて始めました。
当面リスニングは英検の参考書に付属のCDを繰り返し聞くこと、表現はらくだで短い文章を繰り返し練習すること、文法は時制と仮定法が弱いことがわかりましたので、この辺りを強化していきたいと思っています。
10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
マスコミ報道
2008 / 07 / 22 ( Tue )
私は、10数年、母や弟と離れて暮らしていて、昨年春に近くに引っ越してきたという経緯がありますが、その間、たまに顔を合わすことはあっても、突っ込んだ話しをするわけでもなかったので、久しぶりに(別々に済んではいますが)顔を突き合わせる時間が増えてみると、お互いそれぞれの価値観を持つようになったのだなと感じます。
弟は、化学薬品の営業をしていますが、大学では化学が選考で、いわゆる理系です。
そういう部分で、知識の種類が違うので面白いこともあります。
一方で、弟はある意味クソ真面目なところがあって、話を聞いると、そこまで考えなくてもと思うことがあります。
特にマスコミの報道(に限らず、番組の作り方全般)については、かなり厳しいです。
確かに私も「そういう断定の仕方でいいのか」と思うこともありますが、私は、自分があまり深刻に考えたところで仕方がないと思っているので、弟との話題にすることもありますが、ただ自分の思ったことを口に出すだけのことで、それ以上でもそれ以下でもないつもりでいます。
ではどんなことがあるのかというと、例えば、NHKの『プロフェッショナルの流儀』という番組で、プロ野球のヤクルト・スワローズの宮本慎也選手が特集された時、ナレーションの中で、「(チームが不調の中で、チャンスを作るべく)ベテランの宮本選手は、ヒットを打って気を吐いたが、経験の少ない若手はそれに続くことができなかった」というような内容のことがコメントされていました。
しかし、3割ヒットを打てば1流選手といわれる世界で、単純にベテランと若手という尺度だけをその時にヒットが出なかった原因として決め付けていいのか。
確かに、内面的な部分で、その状況の重要性をどれだけ理解して打席に入ったのかということを象徴的に表現したものと考えることもできます。
けれども、誤解を招く表現だともいえると思います。
テレビを見ていると、そういう決め付けた表現が相当に多いのも事実です。
限られた時間の中で、情報を詰め込まなければならない、番組をわかりやすく作りたいなどの理由があるのでしょう。
しかし、テレビをはじめとしたマスコミの影響は、相当に大きいものがありますので、視聴者の価値観を誘導するような表現には気をつけていただきたいという気持ちもあります。
09:37:01 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
グレッグ・ノーマン残念
2008 / 07 / 21 ( Mon )
今年に入って、少しゴルフのことが気になって、時間が許す限りですが、テレビで観戦しています。
自分で熱心にやっているわけでもないですが、見ていると結構面白いスポーツですし、昨年くらいから、上田桃子さんの動向が気になったりするもので。
また、私の知り合いの女の子の名前が「さくら」という名前だということで横峯さくらさんのことも気になっています。
ともあれそんなことで、ここのところ、全米オープンのタイガー・ウッズとロコ・メディエイトのプレー・オフ、全米女子オープンでは、インビー・パークさんが逆転優勝をしました。
そして日本時間では昨日の夜から今日の夜中にかけて行われた全英オープン。
どの大会でも、私の心に残ったのは、惜しくも敗れていった選手です。
全米オープンでは、プレー・オフに入ってからのメディエイト選手が、素人の私が見ていても自分のリズムを作れずに、逆にウッズ選手のペースにはまっていくようにスコアを落としていったのが印象的でした。
ウッズ選手は、本当に強い精神力を持って、ひざの具合は相当悪かったようですが、きっちり自分のゴルフをやりきったという感じでした。
全米女子オープンでは、同じく最終日を主意でスタートしたステイシー・ルイス選手が、やはりプレッシャーからか自分のゴルフをできずに首位から落ちていった様子を見ていて、優勝することの難しさを感じたのでした。
ルイス選手は、確か、この大会が始まる直前にプロ宣言をしたのだと記憶していますが、その若さには重すぎるプレッシャーだったのでしょうか。
そして昨日のグレッグ・ノーマン選手。
懐かしい名前だったのと、往年の女子テニス・プレーヤーだったクリス・エバートさんと結婚されたという話題から注目していました。
そのノーマン選手が最終日トップでスタートということで注目していたのですが、第一ホールで、前日までと違ったクラブの選択をしたということで、不安がよぎりましたが、その不安が的中、何度もピンチをしのぎましたが自分のペースを取り戻すことができず、3位に終わりました。
もちろん選手は必死でプレーしていますから、外野の私が何もいうことはないのですが、テレビを通して選手の表情や仕草からその胸中を思いながら観戦すると、ゴルフの奥深さを感じて、とても面白いのでした。
次は、全英女子オープンです。
時間の許す限り、テレビ観戦をしたいと思います。
17:16:51 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新宿街頭清掃
2008 / 07 / 17 ( Thu )
先月、新宿の街頭清掃にはじめて参加してから、早いものでもう1ヶ月が経ちました。
そして今日、2回目の参加をしてきました。
今日は、100人少しくらいの参加者だったでしょうか。
皆でゴミ拾いをしていると、町がきれいになっていくのがわかって、とても気持ちがいいものです。
面白いもので、私がゴミを拾ったところを他のメンバーが来て細かいゴミを拾っていたりするのを最初は、「私がやったところなのに」と少し嫌な気持ちがしたものですが、人が変わると見る目が違って、私が見落としたり、細かいので見逃したりしたものを拾ってくれていたり、逆に私が他の人の見逃したり見落としたりしたものに気がついて拾ったりすることで、更に町がきれいになるならいいことだなと思うようになりました。
皆で掃除をしたところに早速ゴミを捨てていく人もいますが、そういう人のことをどうにかしようと考えても仕方がないので、私はつき1回、この会に参加して掃除をすることと、毎日1つゴミを拾うこと、自分はゴミをポイ捨てしないということを実践していこうと思っています。
1日1つのゴミ拾いですが、先を急いでいる時などうっかりゴミを拾い忘れそうになることがありますが、幸か不幸か東京という町はゴミに事欠きません。
ちょっと見回せば、何かしら落ちているものです。
それはあまりいいことではないのですが。
それにしても、こういう会を発起する人がいて、それに賛同して世話を買って出る人がいて、私のようにそれに引きずられて参加する人がいて、それが全国に広まっていて、世の中というのは面白いというか、満更ではないという気持ちになったのでした。
10:14:28 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
平和な土曜日
2008 / 07 / 13 ( Sun )
昨日も暑い一日でした。
梅雨が明けたとは聞いていませんが、すっかり夏の趣です。
昨日、ジョギングをしていると、ジョギングコースの脇にある区立のプールに来られている親子連れを沢山見ました。
昨年、弟が行ってみたところでは、人が多く、混乱が起きないように50メートルのプールを半分に分けて縦に泳ぐことはできないようにしていたということですが、それ以前の状況だった話していました。
昨日もさしづめそのような感じだったのではないでしょうか。
一方、公園では、年配の男性がバイオリンの練習をしていました。
私は、音楽を聴きはしますが、演奏の上手下手はほとんどわかりませんので、その方が上級者なのか初級レベルなのかはわかりませんでしたが、バイオリンの練習とは珍しいなと思ったのでした。
昨日はボートに乗っている人の数は、私が走っている時間帯にはあまり多くはありませんでしたし、気温が高かったせいか、散歩に来られている人もそれ程ではありませんでしたが、プールに詰め掛ける親子連れ、バイオリンを練習する男性に出会い、暗い話題が多い昨今ですが、それでも押しなべて見れば平和な国に住んでいることを感じずに入られませんでした。
09:59:06 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
人間に完璧を求めていいものか
2008 / 07 / 11 ( Fri )
少し前に、知り合いのNさんと話していて、どういう話の成り行きだったかNさんが「最近の教師は、理科がきちんと教えられないんだからなあ」とおっしゃいました。
確かその頃、小学校の教師に対するアンケートで理科を教える自信がないだったか、何しろネガティブな答えをした先生が多かったという記事が新聞に出たのだったような気がします。
私はNさんとの会話はともかく、別なことが頭を巡りました。
確かに、新聞に出ていたので、教えるのが苦手な科目の中で理科をあげる先生が多かったのでしょうし、最近は日本人の理数科目のレベルが落ちているという論調もあるのでこのことが問題視されるのでしょうけれど、そもそも人間には得て不得手はあるものではないでしょうか。
また、教員になるための条件を厳しくするという意見もあり、それ自体は悪いことではないのかもしれませんが、私が?と思うのは、教師になるために今までよりもっと勉強をしなければならなくなった結果、優秀な教師が単純に増えるのかということです。
あくまで私のイメージですが、人間というのは、機械のように単純なものではないので、教育をしっかりすればPCのソフトをバージョンアップするような成果が上がるのかというとそういう訳には行かないのではないか、と思います。
最近は、問題を単純化しすぎるといいますか、原因を何かひとつに求め、決め付けるという風潮が強いような気がします。
教育というのは、それこそ人対人の営みです。
お互いに不完全な人間同士が交わりあうところなのですから、もう少しお互いが尊重しあうといいますか、お互いがお互いを高めあう場であるという見方も必要なのではないでしょうか。
10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小さな約束の積み重ね
2008 / 07 / 07 ( Mon )
先日、ラジオを聴いていましたら、人生相談のコーナーをやっていて、山本晋也監督が回答者でした。
相談の内容は、途中から聞き出したので、よくはわからないのですが、祖母の方がお孫さんのことで相談をされているようでした。
その中で、山本監督が、子どもに何かを伝えるためには、「日頃から小さな約束を守らせること」が大切だとおっしゃっていました。
約束を守ることは大人の社会でも大切なことだということを教えること。
また、いきなり難しい約束をするのではなくて、やさしいことからできる感覚を身につけさせる、ということをおっしゃっていたと思います。
子どもに何かを伝えるためというのは、少しわかりにくい表現でした。
この時の相談の内容は、話を聞いていた感じではお孫さんが自分のところに遊びに来てくれるのは嬉しいのだが、いざ帰る段になると泣き叫んで帰りたがらず、困っているというようなものだったと思います。
山本監督のコメントの中に「泣き叫べば、大人は自分の言う事を聞いてくれるというように思わせない方がいい」というようなものがあったと思います。
そして、帰る時に泣き叫ばないようにするには、その時に「泣き叫ばない」という約束をしてから遊びに来させるようにするのがいいだろうということでした。
そして、そういう約束を守らなければならないということを身に沁みさせるために、日頃から小さな約束を積み重ねるということをするべきだということなのでした。
らくだでは、生徒対応に「提案」と「約束」という手段はよく使うのですが、山本監督の話を聞いて、改めて「約束」の効用を認識したのでした。
12:27:14 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
カメ
2008 / 07 / 05 ( Sat )
昨日、ジョギングをしていたら、コースになっている道路にカメがいました。
大きさは、甲羅の大きさで、縦が30センチ、横が20センチくらいだったでしょうか。
私はボートに乗っていてカメを見たことがありますし、鳥の写真を撮りに隣の池に行った時にもカメを見ていますので、カメがいることには驚かないのですが、ジョギングコースで見るとは思っていませんでしたので、いくらかギョッとしたのでした。
そして、もう1周して帰ってくると、少し移動してまだいました。
その道路は、一方通行になっているかどうかはわかりませんが、すれ違うのは場所を選ばないとかなり難しい狭い道で、私たちのようなジョギングをする人、もちろん周辺に住んでいらっしゃる方々、また小学校、中学校の通学路にもなっていて、清掃車の他自家用ではない車も時々通る道です。
カメは歩くのが遅いからな、と思いながら通り過ぎ、「おやっ、車に轢かれたらどうなるのだろう」と思い、戻って草の陰かなんかに逃がしてやろうかと考えました。
しかし、結局はそれをせずにジョギングを続けたのは、ひとつにはジョギングを中断したくなかったこと、もうひとつは運命について考えたからでした。
もし、私が逃がしても、また出てくるかもしれない。
人間の子どもであれば、言って聞かせることもできるけれど、カメではそうもいかない。
とすれば、車に惹かれるのも運命だし、一旦はどこかに逃れても、今度は子どもに捕まるかもしれない。
子どもに捕まって、大事にしてもらえるかもしれなければ、エサももらえずに死んで聞く運命かもしれない。
運命というのはそんなものなのかと思い、もう1周して戻ってきた時にまたそのカメと会うことがあったら、その時は池まで運んであげて、車に轢かれたり、子どもに捕まったりしないようによく言い聞かせて(わからないとは思っても、気持だけでもという気持ちから)、逃がしてやろうと思いました。
そして再度カメのいた場所に戻ってくると、今度はもうその場所からはいなくなっていたのでした。
10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
カメ2
2008 / 07 / 04 ( Fri )
先日エントリーしたカメのことで、もうひとつ考えたことがあります。
カメを逃がしてあげようかと思ったとき、最初に考えたことは、人間の子どもであれば言って聞かせることができるけれど、カメではそれもできないと考えたことを書きました。
しかし、考えてみると、人間の子どもでも、こちらから言って聞かせることはできますが、それを聞くか聞かないかは子どもたちの問題です。
と考えた時、らくだメソッド開発者の平井雷太氏が以前に、「人の提案に乗れることが自己受容力」と書いていらしたことがわかったような気がしました。
「自己受容力」という言葉は難しい感じがしますが、つまり、自分で決めたことをやり遂げるという力も重要であるけれども、自分の中で完結してしまっては、その時点でのその人以上に伸びるということはありません。
ところが、誰かの提案に乗るということができる人は、その提案によって、自分が思っても見なかった成長をすることがあるということです。
自分で考え、自分で行動するということも大事なことですが、自分の殻を破るためには誰かの言うとおりにしてみるということも大事なことだということです。
そして、他人から言われて始めたことでも自分で決めたことだと思えれば(平井氏はこの能力のことを「自己決定力」と名付けています)、鬼に金棒でしょうか。
子どもの意思を尊重するのはいいことだと思いますが、子どもが他人の意見を受け入れ、「いざ、やる」となったら自分事と思って取り組める子どもになるように関わる、そういう関わり方が子どもを伸ばすために、より望まれるのではないでしょうか。
10:11:58 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
古武術介護
2008 / 07 / 04 ( Fri )
私の母は、現在、歩くことが出来ず、トイレは何とか自分で這っていくこともありますが、基本的には介護が必要な状態です。
弟は力があるからできるのですが、母をトイレに連れて行く際に母の脇に手を入れて、そのまま母を持ち上げて身体を浮かした状態で、母に自分の足を動かすよう促しています。
しかし、実際には母は身体が浮いた状態でも自分の足を動かすことがままならず、弟が母を浮かしたまま後ろから母の足を自分の足を出すのと一緒に動かさせるようにしています。
私は、力が無いこともありますが、「古武術介護」の本を読み、介護をする方が楽であることは、介護される方も頼みやすいのではないかと思い、また、古武術的な体の使い方に興味があるので、無理をせず、弟とは別のアプローチで母の介護をしています。
といっても、私も少しは力があるので、力で何とかしてしまう局面もありますが、できるだけお互いが無理をしなくてすむように工夫をしています。
弟は、まだ自分の体力に自信があってやっていることだと思いますが、ちょっとしたことでぎっくり腰などになってしまうことはありますので、気をつけてもらいたいと思っています。
介護する方が寝込んでしまっては、それこそ大変なので。
私はまだ、「古武術介護」を独学で習い始めたばかりですが、身体をうまく使えば、やはり楽に介護ができるような感触は得ています。
私の母は、団地の3階に住んでおり、デイケアセンターの方に負ぶって送り迎えをしていただいていますが、その方たちの負担も大きいようで、日数が減らされたりしています。
団地の方でもエレベーターを設置する計画が進んでいると弟が話していましたので、その計画が早く実施されるのを願うと共に、デイケアに従事なさっていらっしゃる方たちも、いろいろと研究され、身体の負担を軽減するような方法を身につけられるといいなと思っています。
10:00:00 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。